健常な中高齢者を対象に低強度の自転車運動を3カ月間にわたって実施してもらったところ、実行機能が向上しました。向上効果は特に高齢期で顕著で、脳の前頭前野で脳活動が効率化していることが分かりました。高齢者も取り組みやすい、実行機能を高める運動プログラムの開発に寄与する成果です。
定期的な運動の実践は高齢者の認知機能の維持・増進に有用です。特に、中~高強度の有酸素運動が前頭前野の担う実行機能(目標に向かって行動や意識を制御する能力)に与える効果についてエビデンスが蓄積されています。また、本研究チームはこれまでの一連の研究で、身体への負担やストレスが少ない低強度の運動でも脳は刺激され、認知機能が高まる可能性を明らかにしてきました。しかし、習慣的な低強度の有酸素運動が中高齢者の実行機能に与える効果やその脳内メカニズムの詳細は不明でした。
そこで本研究では、健常な中高齢者(55~78歳)を3カ月間、低強度の自転車運動を週に3回行ってもらう群(運動群)と、通常の生活を送ってもらう群(対照群)にランダムに振り分け、実行機能を評価する課題の成績や、課題を実施中の前頭前野における脳活動の変化を比較しました。
その結果、対照群に比べて運動群では実行機能が向上することが明らかになりました。また、年齢の中央値で中年期(55~67歳)と高齢期(68~78歳)の2グループに分け、年齢によって運動の影響が異なるかを検討したところ、運動による実行機能向上効果は高齢期グループのみで見られ、その脳内機構として課題遂行時の前頭前野における脳活動の効率化(実行機能を評価する課題の成績を脳神経活動の量で割った値が上昇する)が起きていることが明らかになりました。
運動は身心の健康の維持増進に有益である、と分かってはいても、なかなか実践・継続することが難しいことが課題になっています。本研究の結果は、体力レベルや運動意欲の低い高齢者にとっても取り組みやすい、実行機能を高める運動プログラムの開発に寄与することが期待されます。
研究代表者
筑波大学体育系/ヒューマン・ハイ・パフォーマンス先端研究センター(ARIHHP)
征矢 英昭 教授
カリフォルニア大学アーバイン校生物学部
Michael A. Yassa 教授
研究の背景
近年の研究で、定期的な運動は中高齢者の認知機能の維持増進に効果的であることが分かっています。特に、中~高強度の有酸素性運動は、前頭前野が担う実行機能(目標に向かって行動や意識を制御する能力)を高める効果があることが多く研究で明らかにされています。しかし、中高強度の運動は身体の負担も大きくストレスがかかることから、身体機能や運動意欲の低い高齢者にとっては実践・継続が難しいという面がありました。
本研究チームは、身体の負担が少なくストレスなく実践できる低強度運動が脳に与える影響について研究を進め、これまで、一過性の低強度有酸素運動は若齢成人の前頭前野の脳活動と実行機能を一過的に高めることを明らかにしています(1)。しかし、習慣的に低強度の有酸素運動を行うことによって高齢者の実行機能は高まるのか、またその際に前頭前野の脳活動がどのように変化するのかは明らかではありませんでした。
そこで、本研究チームは3カ月間の低強度自転車運動が中高齢者の実行機能に与える影響と、その脳内機構を機能的近赤外分光法(fNIRS)注1)により検討しました。
研究内容と成果
110人の中高齢者を運動群(55人)と対象群(55人)にランダムに割り付けました。運動群には3カ月間、週3回(1回30~50分)の 低強度(最高酸素摂取量注2)の35%)自転車ペダリング運動を行ってもらいました(図1)。対照群には、3カ月間通常の生活を送ってもらうようにお願いしました。
3カ月間の介入の前後に、漸増運動負荷試験による最高酸素摂取量の測定と、ストループ課題による実行機能の測定を行いました(図2)。実行機能の評価には、「ストループ干渉時間」(色のついた文字の意味に惑わされることなく文字の色を判断する速度)を評価指標として用いました。また、ストループ課題中はfNIRSを前頭部に装着し、前頭前野の脳活動を6部位 (左右半球の前頭前野背外側部、腹外側部、前頭極) に分けて計測し、ストループ干渉に関連した脳活動を評価しました。さらに、課題成績と脳活動の関係から神経効率スコアを計算しました(2)。これは、いかに少ない脳活動で課題を遂行できたかの指標で、この値が大きいほど、脳を効率的に使って課題を遂行できていることを示します。
介入を終えて事後測定まで参加した運動群41人(平均年齢68.6 (57-78)歳、男性10人)、対照群40人(平均年齢67.6 (55-76)歳、男性10人) を解析しました。最高酸素摂取量は、対照群では介入後に低下していましたが、運動群では維持されていました。ストループ干渉時間は、対照群で増加した一方、運動群では短縮しました(図3)。この結果から、3カ月間の低強度運動は中高齢者の実行機能を向上させる可能性が示されました。
次に、低強度運動が実行機能に与える効果は年齢により異なるのかを検証するため、参加者を年齢の中央値で中年期グループ(55-67歳)と高齢期グループ(68-78歳)に分けて詳しく分析しました。その結果、中年期グループでは運動の効果は見られず、高齢期のグループのみで運動群が対照群に比べてストループ干渉時間が短縮していました(図3)。さらに、測定した前頭前野の領域すべてで、神経効率スコアが対照群に比べて向上していました (図4)。これは、少ない前頭前野の活動でストループ干渉を処理できるようになったことを示します。
以上をまとめると、3カ月間の低強度運動は、中高齢者、特に高齢者において実行機能を高めることと、その背景として前頭前野における課題遂行時の脳活動の効率化が起こっている可能性が示されました。本研究チームはこれまで、一回の低強度運動が若齢成人の前頭前野の活性化を促し、実行機能を高める急性効果を報告しています。本研究によって、新たに定期的な低強度運動の実践によっても実行機能を高めることが分かりました。加えて、一過性の運動効果の場合、実行機能の向上は課題遂行時の脳活動の増加によるものでしたが、定期的な低強度運動では、脳活動の効率化(少ない脳活動で高い認知パフォーマンスを発揮する)が関与することが示唆されました。これは、長期の運動実践によって脳の機能的・構造的なネットワークが強化されたことにより、効率的に前頭前野を動員して認知課題を遂行できるようになった可能性があります。
今後の展開
本研究の成果は、多くの高齢者に適応可能な、実行機能を高める運動プログラムの開発に寄与すると考えられます。今回研究に参加された高齢者のほとんどは前期高齢者で、認知機能が正常な方を対象としていました。今後はより体力レベルが低く、低強度の運動が適している後期高齢者や、軽度認知障害など認知機能が低下傾向にある高齢者への実用性や効果を検証することが望まれます。
参考図
参加者は月曜~金曜の午前と午後に1回ずつ開催される自転車運動教室に週3回参加した。
図2:ストループテスト
左の図は、fNIRSを前頭部に装着してストループテストを行っている様子。右の図はストループテストの例を示す。パソコンの画面上段の単語の色が下段の色文字の意味と一致しているかどうかを判断する。右列に示した不一致条件では「文字の意味と色が違う色文字」を見た時、無意識のうちに脳内で文字の意味を優先的に認識してしまう。そうすると「文字の色」を回答するための情報処理過程に競合が生じる。これをストループ干渉と呼ぶ。このストループ干渉を処理する能力は、不一致条件(右列)と中立条件(左列)の成績の差から求められ、実行機能の一つとして評価される。
図3:参加者全体および高齢期グループにおけるストループテストの変化ストループ干渉時間の介入前後の変化量を示す。値が下にいくほど、ストループ干渉の時間が短縮したこと(葛藤を乗り越えて素早く反応できた)を示す。
図4: 高齢期グループにおけるストループ課題中の前頭前野の神経効率の変化
左の図は、測定した全6部位(左右半球のDLPFC, VLPFC, FPA)において、神経効率スコアの変化量に対する群間比較(対応のないt検定)のT値をマッピングしたもの。赤くなっているほど、対照群に比べて運動群で神経効率が高まっていることを示す。右図は、6部位の中から代表して左DLPFCにおける神経効率の事前測定から事後測定への変化を示す。
参考文献
1. Byun et al. NeuroImage 98:336–345, 2014.
2. Kuwamizu et al. Med Sci Sports Exerc 53:1425–1433, 2021.
用語解説
注1)機能的近赤外分光法(functional near-infrared spectroscopy: fNIRS)
生体組織を透過する近赤外光を用いて局所の脳血流動態(酸素化/脱酸素化ヘモグロビン)を測定し、認知テスト遂行に関連した脳の表層の神経活動を非侵襲的に評価する方法。他のニューロイメージング法と比べて身体的拘束が少なく、ストレスが少ない自然な状態で測定ができる。
注2)最高酸素摂取量
最大運動の時に体内に取り込める酸素の最高量。全身持久力の指標となる。酸素摂取量は運動負荷に比例するため、個人個人の相対的な有酸素運動負荷を決める時にはこの値を100%として、次のように運動強度を分類することができる;超低強度運動(< 37%)、低強度運動(37–45%)、中強度運動(46–63%)、高強度運動(64–90%)、最大/最大強度付近 (≧91%)(米国ポーツ医学会に基づく)。
注3)神経効率
認知機能が高い人は、認知課題を遂行中の脳活動が相対的に少なくなる現象が報告されている。これは、脳が効率的に使えていることで、少ない脳活動で認知課題を処理することができるためと考えられている(神経効率仮説)。例えば、高齢者では若者よりも神経効率が低下していることから、同じ課題を行っても若者よりも脳活動が大きくなることがある。本研究では、ストループ干渉時間と、ストループ干渉に関連する前頭前野の脳活動を標準化した値(Zスコア)を基に、「いかに少ない脳活動で高い認知機能を発揮しているか」を計算し、スコア化した。
研究資金
本研究は、科学研究費補助金基盤研究A(代表: 征矢英昭、18H04081、21H04858)、科学研究費補助金特別研究員奨励費(代表:兵頭和樹、12J01926)、JST未来社会創造事業(代表:征矢英昭、JPMJMI19D5)、2019年度仁川大学校研究費 (邊坰鎬)、NIHグラント (代表:Michael A. Yassa、R01AG053555)を受けて実施されました。また、本研究は筑波大学の海外研究ユニット招致プログラムに基づく共同研究(招致機関=カリフォルニア大学アーバイン校神経生物学・行動学部スポーツ神経科学研究室、受け入れ責任者=征矢英昭・体育系教授)として行われました。
掲載論文
【題名】Mild exercise improves executive function with increasing neural efficiency in theprefrontal cortex of older adults(軽運動は、高齢者の前頭前野の神経効率を高めて実行機能を高める)
【著者名】Kyeongho Byun (邊坰鎬)1, 2*, Kazuki Hyodo (兵頭和樹)3, 4*, Kazuya Suwabe (諏訪部和也)1, 5, Takemune Fukuie (福家健宗)1, 4, Min-seong Ha1, 6, Chorphaka Damronthai4, Ryuta Kuwamizu (桑水隆多) 4, Hikaru Koizumi (小泉光) 1, 4, Michael A. Yassa1, 7#, Hideaki Soya (征矢英昭)1, 4# *共同筆頭著者# 責任著者1.筑波大学体育系ヒューマン・ハイ・パフォーマンス先端研究センター(ARIHHP)
2.仁川大学校体育学部
3.公益財団法人明治安田厚生事業団体力医学研究所
4.筑波大学体育系運動生化学研究室
5.流通経済大学スポーツ健康科学部
6.ソウル私立大学
7.カリフォルニア大学アーバイン校生物学部
【掲載誌】GeroScience
【掲載日】2023年6月15日
【DOI】 10.1007/s11357-023-00816-3
詳細▶︎https://www.tsukuba.ac.jp/journal/medicine-health/20230615090000.html
注)プレスリリースで紹介している論文の多くは、単純論文による最新の実験や分析等の成果報告に過ぎました。 さらに研究や実験を進める必要があります。十分に配慮するようにしてください。