
「今日は何単位やった?」——私たちが毎日のように交わすこの言葉。我々の仕事が「リハビリ」と呼ばれるまでに、どれだけの歴史が折りたたまれているか。
療法士の教育を受けた者なら、「リハビリの語源は『復権』だ」と知っています。上田敏の「全人間的復権」とともに。けれど、その「復権」が、中世の身分回復から戦争を、感染症を、戦後日本の制度化をくぐり抜けて、いまの「単位」「点数」にたどり着くまで何があったのか——。
「理学療法士及び作業療法士法」の施行から60年。厚生労働省に分野横断の「リハビリテーション統括調整室」が置かれ、制度の見直しが語られはじめた今、この言葉が何を意味してきたのか、立ち止まって問い直す時期に来ました。
「リハビリ」とは、もともと何を意味する言葉だったのか。語源の「復権」から現代のICFまで、200年の来歴を遡ります。
目次
- 1. 一枚で見る──「リハビリテーション」概念史の地形図
- 2. 語源──「再び、ふさわしい状態へ」と中世の「復権」
- 3. 近代リハの誕生──第一次世界大戦と「再建補助員」
- ★ コラム:作業療法のもうひとつの源流──モラル・トリートメント
- 4. ポリオ・結核と「機能回復」技術の確立
- 5. 日本への移入──大正期の構想から、戦時・占領期へ
- 6. 1963→1965──制度は、複数の思惑の交差点で生まれた
- 7. 上田敏と「全人間的復権」
- 8. ICIDHからICFへ──障害の「見方」が変わった
- 9. いま、「リハビリ」という言葉が抱えるもの
- 明日、「リハビリ」と言う前に
- 主要出典・参考文献
1. 一枚で見る──「リハビリテーション」概念史の地形図
本論に入る前に、中世の「復権」から現代の「生活機能」まで、主な転換点を6つだけ取り出しました。
図表1 概念史のおおまかな地図
中世|「復権」──奪われた身分・名誉を取り戻す
第一次大戦|傷痍軍人の社会復帰・職業復帰
1940年代 米国|リハビリテーション医学の確立
戦後日本|福祉と制度化(PT・OT法へ)
1980年代|上田敏「全人間的復権」
2001年|ICF(生活機能)
▼ さらに詳しい、世界と日本の年表(全19項目)。各見出しをクリックすると開きます。
この地図を眺めると“ある”ことに気づきます。「リハビリテーション」のスタートは医療やリハ職のものだったわけではないということです。むしろ医療に入ってきたのは、長い歴史のなかではごく最近です。
2. 語源──「再び、ふさわしい状態へ」と中世の「復権」
「リハビリテーション(rehabilitation)」は、フランス語のréhabilitation、さらに中世ラテン語のrehabilitare(再び適した状態にする)に連なる言葉です。「re(再び)」に、「適した・ふさわしい」を意味するhabilisの系列の語が結びついています。原義は「失われた地位や能力、資格を、再びふさわしい状態に戻すこと」に近いものでした。
中世ヨーロッパでは、領主から与えられた身分や地位を剥奪された者が、後にそれを回復して元の立場に戻ること。あるいは、教会から破門された者の破門が取り消されること。こうした「身分・地位の回復」「破門の取り消し」を指す言葉として、「リハビリテーション」は用いられていたのです。
近代に入ると、意味の幅はさらに広がります。名誉の回復、権利の回復、無実の罪の取り消し。日本語にすれば「復権」がもっとも近いでしょう。
象徴的な例が、ジャンヌ・ダルクです。1431年に「異端」とされ処刑された彼女は、25年後の再審で、当時の判決が無効とされ、名誉を回復しました。文字どおりの「復権」です。
ガリレオ・ガリレイが1633年に受けた地動説の断罪についても、20世紀末に教会が当時の判断の誤りを認めていますが、こちらは再審による判決の無効化とは性格が異なります。それでも、こうした名誉の回復もまた、英語圏では「リハビリテーション」と呼ばれてきました。
英和辞典を引けば、いまも「再建」「復興」「復権」「復職」「名誉回復」「社会復帰」といった訳語が並びます。「機能訓練」という語義は、辞書の主役ではないのです。
この一点を押さえておくことが、これから先の出発点になります。私たちの仕事の名前は、はじめから「人としての立場を取り戻す」という意味を背負っていました。
3. 近代リハの誕生──第一次世界大戦と「再建補助員」
この「復権」という言葉が、身体の機能回復と強く結びついていく大きな契機の一つが、第一次世界大戦(1914〜1918年)でした。
かつてない規模の総力戦は、かつてない数の負傷兵を生みました。手足を失い、あるいは深い傷を負った大量の若者たちが、故郷へと帰っていきます。彼らをどう社会へ戻すか──この課題に直面した欧米各国は、1920年前後から相次いで法制度を整えていきます。
アメリカでは、第一次大戦参戦の直前にあたる1917年、職業教育への連邦補助を定めたスミス・ヒューズ法が成立します。翌1918年には、戦傷兵の職業復帰を支えるスミス・シアーズ法が、そして1920年には、対象を一般市民の障害者へと広げたスミス・フェス法(職業リハビリテーション法)が制定されました。「リハビリテーション」が、行政の制度として明確な輪郭を持ち始めた時期でした。
ここで注目したいのが、「再建補助員(reconstruction aide)」と呼ばれた人々の存在です。戦傷兵の身体機能の回復や、手仕事による訓練を担ったこの職種は、米国で理学療法・作業療法が専門職として確立していく、重要な前身のひとつとされます。私たちの職業の源流のひとつは、戦争の傷を癒やす現場にあったのです。
このとき「リハビリテーション」の意味は、別の一歩を踏み出しました。中世以来の「社会的な復権」に、「身体を再び使えるようにする」という機能回復の意味が重ね合わされたのです。あくまで「兵士を社会へ、職業へと戻す」ための手段として、身体の訓練が位置づけられていました。社会復帰という目的があり、その下に機能回復があったのです。
★ コラム:作業療法のもうひとつの源流──モラル・トリートメント
近代米国における理学療法の専門職化が、戦傷兵の機能回復と深く結びついていた一方で、作業療法(OT)には、まったく異なるもうひとつの源流があります。18世紀、ヨーロッパの「啓蒙の時代」にさかのぼる、精神医療の人道化運動です。
当時、精神を病んだ人々は囚人のように鎖でつながれ、社会の危険物として扱われていました。この処遇に異を唱えたのが、フランスの医師フィリップ・ピネルと、イギリスのクエーカー教徒ウィリアム・テュークでした。
フランスでは18世紀末、ピネルや、ビセートル病院で患者の監督にあたったピュサンらによって、拘束を減らし、対話や規則ある生活、作業を重んじる「モラル・トリートメント(道徳療法)」が広がります。イギリスでは、クエーカー教徒のウィリアム・テュークが1790年代に「ヨーク・リトリート」を開き、休息と対話、作業を含む人道的な処遇を実践しました。患者が意味のある作業に携わることを、治療の柱に据えたのです。
ここでいう「作業(occupation)」とは、人が目的をもって時間や力、関心を注ぐ活動を広く指すものでした。人は意味のある作業に従事することで、人間らしさを取り戻す──この思想が、のちの作業療法の哲学的な土台になっていきます。
近代米国における理学療法の専門職化は「戦争と機能回復」と深く結びつき、作業療法は「精神医療と人道化」の系譜を持っていました。源流の異なる二つの専門職が、やがて「リハビリテーション」という一つの言葉のもとに合流していくことになります。
4. ポリオ・結核と「機能回復」技術の確立
第一次大戦で芽生えたリハビリテーションの考え方は、20世紀の中盤、二つの病と向き合うなかで、医学の一分野として確立していきます。ポリオ(急性灰白髄炎)と結核です。
ポリオは、四肢に麻痺を残す感染症として恐れられました。アメリカでは、大統領フランクリン・ローズヴェルト自身がポリオの後遺症と生涯つき合ったことで知られています。彼が関わったジョージア州ウォームスプリングスは、ポリオ後遺症のある人の身体機能だけでなく、生活の立て直しや社会参加までを視野に入れた、先駆的な場のひとつとされています。
結核もまた、リハビリテーション医学の歩みと深く関わります。長期のサナトリウム療養(長期の療養を必要とする人のための施設)を必要とする結核は、「療養後にどう社会へ戻るか」という課題を医療に突きつけました。フランク・クルーゼン医師は、自身が結核を患いサナトリウムで療養した経験から物理医学へと関心を移し、1929年にテンプル大学で理学療法のプログラムと入院リハ部門を整えます。1930年代にはメイヨー・クリニックで物理医学の部門化と専門教育を進めました。病を得た当事者の視点が、この分野の出発点にあったことは象徴的です。
そして第二次世界大戦が、この流れを大きく後押しします。膨大な数の負傷兵を前に、ハワード・ラスク医師は1942年から軍で、身体・心理・職業の各側面を統合した回復期の訓練プログラムを発展させました。戦後の1946年には、ニューヨーク大学でリハビリテーション医学の教育・臨床の拠点づくりを進めます。ラスクはのちに「リハビリテーション医学の父」と呼ばれるようになりました。
この時期に確立したのは、単なる個別の訓練技術ではありません。医師や療法士、ソーシャルワーカーらがチームを組み、身体機能から心理、職業復帰までを一貫して支える──今日まで続くリハビリテーションの基本形でした。ここで、リハビリテーションは理念だけでなく具体的な医療の方法論を伴うようになったのです。
ただ、見落としたくない点があります。この時代のリハビリ医学は、健康な医師が一方的に障害を「治す」という発想だけから生まれたのではありません。ポリオ後遺症とともに生きたローズヴェルト。結核療養を経て物理医学へ向かったクルーゼン。その背後には、「元どおりに戻す」のではなく、「変わった身体のままで、もう一度社会のなかに居場所をつくる」という問いがありました。それは、中世の「復権」が問うていたことと、どこかでつながっています。
●この先の内容
ここまでが、世界という舞台で「リハビリテーション」という言葉が育っていく物語でした。この先では、その思想が海を渡り、戦後日本でどう受けとめられたか(第5・6章)、上田敏の「全人間的復権」がなぜリハビリテーションの原義と響き合うのか(第7章)、ICFが障害の見方をどう更新したか(第8章)、そしていま「リハビリ」という言葉が抱える課題(第9章)までを読み解きます。最後に、明日の現場へ持ち帰る「3つの問い」で締めくくります。
5. 日本への移入──大正期の構想から、戦時・占領期へ
日本に「リハビリテーション」の思想が根を下ろすのは、戦後にはじまったわけではありません。源流は、大正期にさかのぼります。






