作業療法士を目指したきっかけ
日々向上することが必要とされる職種だから、というのが一番大きな理由ですね。まだ高校生だったころ、身近にいた大人は一般の会社勤めをしていて、定時に出勤をして、定時に帰宅するという毎日を送っている人が多くいました。今考えればそれで家族を養ってそれぞれの生活を維持していたわけですからそれだけでも立派なことですが、高校生の私の目にはそれはあこがれる対象として映りませんでした。本当に何も知らない高校生らしい発想だと思います。そんな私が、日々向上していける職種はなんだろうかと考えたところで「医療職」が思いつきました。スポーツにも興味があった私は医療の中でもリハビリに興味を持ちました。正直なところ、最初は理学療法士になりたくて大学を受験しましたが自分の勉強不足のため、作業療法学科への入学しか実現しませんでした。それから大学に入学してからの一年は理学療法学科への入学をあきらめず、一年間は学部の勉強に加えて、継続して大学受験の勉強をしていました。しかし、その一年間作業療法について学んでいくうちに、理学療法への興味よりも作業療法が持つ魅力に気がつき、理学療法学科への入学は私の中ではあまり重要なことではなくなっていきました。今は作業療法士になってよかったと思っていますし、医療職を目指すきっかけとなった「日々向上すること」という目標の元に日々仕事をすることができています。
現在の仕事
大学に在学中や仕事を始めて間もない頃、一般社会の人たちの「作業療法士」に対しての認知度の低さがとても気になっていました。私たち療法士は医療職ですが、その中にはサービス業としての要素もあると思っています。そのサービスを提供する、いわゆるお客さんにあたる患者さんや利用者さんたちの認知度が低いということは仕事として成り立たないように感じていました。そこから「リハビリ職種の広報」にとても興味を持つようになっていきました。協会としても広報活動を行っている様子を協会誌などで見かけることもありましたが、もっと違う形でアプローチをしていきたいと思いました。
そこで私が考えた活動場所が中国でした。私が日本にいた頃の2年前でも中国は急速な勢いで高齢化が進んでおり、これから多くの高齢者が出てくる中で多くの障害者も出てくると予想されました。しかし、リハビリの制度や体制は未熟で、そこにはこれから成長が見込まれる大きなシニアビジネスのマーケットが広がっています。それを目指して日本の介護や福祉関連企業の参入も予想されました。そこに日本の療法士としてのサービスや技術を売り込めないものか、それをきっかけに一般企業の方に日本の療法士について知ってもらうことができるのではないか。そう考え、中国で活動することを選択しました。
JICAのボランティアとしての活動は基本的には2年間配属先で活動することになります。当然それぞれの配属先の要求がありますが、その要求が満たされていれば他にどのように自分の活動を展開していくかはボランティア個人の考え方や行動によります。つまりボランティアの活動はそのボランティアによって様々なのです。 私の場合は、配属先においては「作業療法科の立ち上げ」という要求がありますので、日々臨床をしながら同僚へ作業療法についての技術指導を行っています。それと平行して、私は「対外活動として日系福祉関連企業との連携強化」という目標を立て、日々活動を行っています。現在すでに介護事業、リハビリ製品、介護製品などの日系企業が進出してきて日々試行錯誤を繰り返しています。その方たちと情報交換を行ったり、日系ではなく中国資本で設立された介護事業所に出向き、日本クオリティのリハビリテーションの紹介や技術指導も行っています。キャリアアップとは? そのために”今”行っていること
療法士として「キャリアアップとする」ということは私としては一言では言えないと思っています。というか、わかっていません。ひとつの病院の中で働き、病棟責任者になったり科長になったりすること。大学の助教から講師、教授になること。事業所を開設すること。講習会の事業を成功させること。海外で学位をとること。それらのどれをとっても「それがキャリアアップだ!」と言われても私としてはしっくりきません。日々仕事をしている中で「キャリアアップしたい!そのためにやっているんだ!」と思ったことはありません。ただ、自分の中でこれだけは実現させたいと思っている目標はありますし、それに標準をあわせて今何をするべきかは常に考えています。その過程が他の方から見たときに「キャリア」になっているのかもしれませんが、今の私にはまだわからないですね。
リハビリ職を目指す学生の皆さんへ
吉田太樹先生の経歴
所属:青年海外協力隊 Japan Overseas Cooperation Volunteers (JOCV) :中国
職種:作業療法士 経験:5年