今日は、認知症のある方のコミュニケーションの言語表現の側面についてお伝えしたいと思います。
認知症が進行してくると、言語表現が限定されたパターンで現れるということがよくあります。
たとえばこんなことがありました。
「ねぇ!」「ねぇ!」「ねぇ!」
Aさんは、常に大きな声で繰返し繰返しこの言葉を言っています。
最初は職員も(Aさん、どうしましたか?)と尋ねていますが、尋ねられたAさんは黙ったままです。すると職員もその場を離れてしまいます。Aさんはずと「ねぇ!」と大きな声で言い続けていました。
尋ねても答えてくれないAさんに職員も困ってしまっていました。
そこで、Aさんに尋ねてみました。
はい。どうしましたか?
ところが、Aさんは黙ったまま何も答えません。
何かあったらまたお声かけください
そう言ってその場を離れました。
するとAさんはまた「ねぇ」と言います。
どうしましたか?
でもAさんは黙ったままです。
そこでそのまましばらくAさんのところで座って過ごしました。
すると、Aさんは時折顔を上げて私の顔を確認してそれからまた下を向いてという動きを繰り返していました。
でも、「ねぇ!」という言葉を言うことはなくなりました。
本当のところ、Aさんが何を言いたかったのかはわかりません。
ただ、私の顔を見て確認するという動作から近くに職員がいることを確認していたということはわかります。
つまり、何が気になってなのかはわかりませんが、近くに職員がいることを確認したかった、近くに職員がいることが確認されれば何か気になることは解消されるか、あるいは一時保留できるものであっただろうということが推測されます。
限定された言語表現
認知症は、さまざまな障害を引き起こします。その1つに言語表現も障害されることがあります表出される言葉が限られた言葉だけになってしまいます。
もしも表出可能な言葉が「ねぇ」だけであったとしたら内に抱える気持ちや意思が強ければ強いほど「ねぇ」という使える単語をより大きな声でより強い口調で繰返し言うしかありません。
私たちは強い気持ちや意思をたくさんの言葉で修飾して表出することができます。
そのような能力が低下してしまうこともあるのです。
表出能力が低下しているだけで、気持ちや意思までが低下したわけではありません。
人によっては、数字の羅列という表出やパターン化された言葉で言語表出を繰り返されることがあります。
この時に表出された言葉そのものに意味が込められていることもあれば、言いやすい言葉だから表出されただけでその言葉そのものには意味がない。ということも起こります。
意味がない言葉を言っているからといって表現に意味がないわけではありません。
Aさんの様子は外側から見ているだけだと、いわゆる「繰り返される大声」というBPSDとして取り扱われてしまいがちです。
「問題のある行動」として位置づけてしまうと、その視点にとらわれた私たちはAさんの埋もれていて表面に現れていない能力を見誤ってしまいます。
たとえ、表出される言葉が限定されていたとしても、意味のない言葉であったとしても、内在する気持ちや意思が限定されているわけでも意味がないわけでもありません。
行動というもうひとつの言葉で問い返す…Aさんの例で言えば、そばにいるという私の行動によって、Aさんが私を確認するという行動=もう1つの言葉を返してくれた。
そのことによって、Aさんに内在する気持ちや意思を推測しやすくなった。少なくともAさんの周囲の人にとっても、そしてAさん自身にとっても苦痛であったろう「ねぇ!」という言葉を言わなくてすむようになったのは確かなことです。
表面的な事象としての言葉だけがコミュニケーションではないのだということを深く再確認させられた体験でした。
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佐藤良枝先生プロフィール
1986年 作業療法士免許取得
肢体不自由児施設、介護老人保健施設等勤務を経て2010年4月より現職
2006年 バリデーションワーカー資格取得
2015年より 一般社団法人神奈川県作業療法士会 財務担当理事
隔月誌「認知症ケア最前線」vol.38〜vol.49に食事介助に関する記事を連載
認知症のある方への対応や高齢者への生活支援に関する講演多数