途上国で就労するきっかけ
私が開発途上国に関わりだしたのは、2010年から参加した青年海外協力隊でした。ウズベキスタンの国立障害者リハビリテーションセンターにて2年間勤務した協力隊での経験も、途上国で働く契機となりましたが、開発途上国に関わる出発点としては、カンボジアでの経験が大きかったのだろうと振り返ります。
2008年3月、大学院の修士過程が終わった頃に、知り合いを訪ねカンボジア旅行に行きました。修士課程在学中にアメリカや中国を旅しており、今回のカンボジアへの旅もとても楽しみに出発したのを覚えています。外国に行って初めて見る景色に驚き、現地の安くて美味しい日常食を食べ、地元の人と悪銭苦闘しながらコミュニケーションをとる、といういかにも若者らしい旅を楽しんでいた時期でした。
首都プノンペンに滞在して数日が経ち少し慣れてきた頃、お世話になっていた知り合いにキリングフィールドに行くよう勧められました。3月のプノンペンは酷暑で、まともに歩けないぐらいの炎天下となります。それを知ってか街のいたるところで荷台付きバイクタクシー(トゥクトゥク)が待ち受けています。
トゥクトゥクの運転手のおじさんに交渉し、キリングフィールドまで乗せて行ってもらうことになりました。キリングフィールドという名前から、気持ちのいい場所ではないことは想像していましたが、向かっている途中は旅の楽しさにワクワクしていたのが正直なところでした。
Photo:大学院の時にアメリカに行った際は現地のPTに大変お世話になりました(2005年頃)
キリングフィールドに到着し、「すぐ戻るから待っててね」と、なんとなく身振り手振りでおじさんに別れを告げた後、こぢんまりとした広場の真ん中に立つ「塔」へ向かいました。
塔に近づくに連れ、白い丸いものがぼんやりと、その中にあるのが見えてきました。さらに近づいていくと、人の頭蓋骨が無数に詰め込まれていることがはっきりと見て取れました。一瞬どきりとしましたが、私も医療の末席を汚すものとして多少の経験はあったので、落ち着いて説明板を読み進めました。
クメールルージュ。1970年代後半、当時の統治者がカンボジア国民を大量虐殺したこと、そしてこの塔はその悲劇を繰り返さないために建てられた碑であることがわかりました。
大量虐殺という事態の悲劇さはもとより、それが起きたのは私が生まれるほんの数年前であったことに、私は動揺しました。私は今日まで何も知らずに生きてきたことにとてもショックを受け、のんきに大学院を修了してしまった、というような恥ずかしい気持ちにさえなりました。
その頃から、もっと世界のことを知りたいと強く思うようになり、いつかは世界の苦境にある人々の役に立つことをしたいと思うようになりました。
大学院修了後は病院に就職しましたが、海外への思いから2年で退職。せっかく学んだリハビリテーションを生かしつつ開発途上国の人の役に立つ仕事は何かと考えた時に、青年海外協力隊が最も良いと思い応募することにしました。そしてさらに7年が経った現在、偶然にも、カンボジアでの事業を担当することになり、再び現地に訪れる機会を得ています。
今、カンボジアに住む人々に関わる仕事ができ、一人、縁のようなものを感じています。
Photo:現職で再びカンボジアを訪れることに。カンボジアにある車いす工房を訪れ車いすの説明を受けました(2017年2月22日)