実家はアパレル会社を経営
― 作業療法士になったきっかけを教えて頂けますか?
細川先生 作業療法士になったきっかけは、そもそも家業があって高校時代までは「会社を継げ」と言われていました。いわゆるアパレル関係の会社で、卸から製造まで全部手掛けている会社でした。
ちょっと時代背景的に厳しくなってきて、家庭の方針が変わって「手に職をつけろ」と言われるようになりました。その当時の僕は、何かしたいわけでもなく「どうせ、家の仕事を継ぐのだから大学に行けたらいいか」という風に考えていました。
しかし、家の事情で職を探すようになったわけです。ただ、急にそう言われてもしたいことがあるわけでもなく、親もすごい気にかけてくれて。その中で、昔っから絵画を習っていて、絵が得意だったこともあり美術家も考えましたが、不安定な職業ということで別の道を探すことになりました。
そんな話を塾の先生としているとき「作業療法士という職業はアートもリハビリとして使えるみたいよ」ということを教えてくれたんですね。それでいて、医療従事者だから需要もあるし、自分に向いているんじゃないかと思って目指すことにしました。
実はPOSTの立ち上げメンバーです
― 仕事をはじめてから現在のキャリアまでの過程を教えて頂けますか?
細川先生 まずは、普通に病院に勤務して、最初の夢は大学の先生になることでした。そう考えていたのが3年目くらいの時だったと思います。ただ、「それを突き詰めていくことに意義はあるのか?」という疑問に突き当たりました。その当時からOTの学生が定員割れしている、というような話を聞いていたので、そこを目指していいのか?と思いました。
それから考え直して、当時ドラッガーの書籍で「パラレルキャリア」が取り上げられていて、「その当時は当たり前じゃなかったけど、これが当たり前になる時が来るんじゃないか」と、考えるようになりました。
当時、職場の上司に今のASRIN代表石田先生がいて、勉強会を開催されていたんです。僕も勉強会に誘われて手伝うことになりました。それが病院以外のところで軸足を持つという感覚を得たきっかけになりました。
それで色々活動しようという時に、就業規則の関係上、思ったように活動できませんでした。「もっとフレキシブルな所で働こう」と、考えて訪問看護に転職しました。実は新しい所も石田先生がいらっしゃって、ご紹介頂いて入ったんです。本当に頭が上がりません(笑)。その職場で石田先生がすごく面白い働き方をしていました。
というのも、職場の中で、自分の事務所をもち、整体院を作っていたんです。単純に「すごいな」と思いましたね。それを社長と交渉し認められていて、尚且つ業務後にそこにお客さんが普通に来ていました。それを見て「もっともっと働き方の可能性はある」と思いました。
これがきっかけで副業やパラレルキャリアについてより深く調べるようになりました。アメリカとかだと日本と違って、このような働き方は当たり前です。いわゆる「就社」じゃなくて「就職」という感覚なんですね。
あくまで会社に属するのではなく、職に属するという感じです。「個人が会社を活用し倒す」という感じで言えばわかりやすいですかね。個人単位でキラースキルを持っている人が、大きな活躍するのではないかなと考えています。そうした仮説の元でやり始めたのが1つです。
また別のきっかけとしては、当時から同級生で仲良くしていた輪違さんから「POSTというのを一緒に作らないか?」と、誘いを受けました。誘われたタイミングでは2~3回しか会ったことなかったんですが、なんだかすごく昔から会っている感じで。それで、即答でOKをして実際の活動がはじまりました。
それで、この話をしたら嫁に怒られるんだけど、その話を受けたのが結婚式の一日前だったんですよ(笑)。なので、事業計画をまとめて、そのメールのやり取りを結婚式の最中にしていましたね。笑
新婚旅行の時もやりとりしていましたね。がっつりした最初の複業・パラレルキャリアはそこでしたね。東京には行かず名古屋にいながらオンラインで一緒に仕事をしていました。
(注:細川先生は以前POSTの副編集長でした。)
POSTをやっていく中で、色んな人とお会いするきっかけとなったのですが、一番気にかかったのが、「リハの可能性はまだまだあるのに、異業種との連携や訴求に課題があるな」ということが見えてきました。
そうしているうちに、「細川という面白いOTがいるぞ」ということで、愛知県の人から色々と声をかけてもらえるようになりました。
それから「ウェディング介護をしたい」という企業から「理事として入ってくれ」という誘いや、「泌尿器科医と一緒に商品開発をしたいので手伝ってくれないか」というお誘いなどを頂くようになりました。
あとはマネジメントの強化を手伝うようになりましたね。色々やっていく中で、今のうちの代表の岩尾が「面白い奴おるやないか」ということで会うことになりました。お会いしてすぐにお誘い頂きこちらへ移ることになりました。手前味噌ですけど複業・パラレルキャリアをやっていく中で、自分の名前が至る所で顕在化しはじめて、色んなところからお誘いを受けるようになったんですね。
色んなところに所属しているのが、自分のブランドになったのかもしれません。自分から売り込んでいくというよりは、相手が勝手に「潜在的にもっと何かできるんじゃないか」と思って声をかけてくれることが多いですね。そして、色々やっていくうちに「守破離」という組織を作っていくようになります。
【目次】
第一回:アートをリハに生かす作業療法士
第二回:人生の切り売り的仕事
第三回:やらないことを決める
■細川先生オススメ書籍
細川寛将先生のプロフィール
作業療法士。保健学修士。作業療法士として病院勤務時代より「国家資格」「保険内」にとらわれずに専門性を活かしてナレッジワーカーとして活動。これからの医療・介護職の働き方の一つとして複業・パラレルキャリアを実践・推奨している。
現在は、医療法人陽明会グループ(名古屋市)で在宅緩和ケア住宅(サ高住)の施設長をする傍ら、株式会社クリエイターズ(金沢市)にて就労支援事業・メディア事業、その他NPO法人や一般社団法人の役員、ヘルスケアベンチャー企業の支援に携わっている。
最近は、地域でパラレルキャリアを実践する医療・介護職を支援するために一般社団法人守破離を起ち上げコワーキングスペースの設置やワークショップ開催、メンバーにキャリアデザインのコンサルティングなどを精力的に行っている。