浪人すると合格率が30%を切ります
ーー 国家試験というのは、先生が受けていた第11回くらいから今までというのは変わっていますか?
中島先生 40年前と比較すると内容は全然違います。私の頃なんてCTなんてないし、脳卒中の授業なんてほとんどないんですから。整形外科労働災害オンリーでした。
脳卒中なんてほとんど出ない。呼吸とか循環なんてゼロです。まして介護保険なんてない時代ですからね。我々の頃は、まさしく労災です。だから国家試験の問題で義肢・装具、物理療法はめちゃめちゃ多く、物理療法の授業は1年間半日を週2回があったんですよ。考えられますか?
例えばOTだって基礎作業がほとんどだったんです。木工とか織物、陶芸などばかりで、今は基礎作業の出題数ゼロですよ。ほとんど出ない。道具の名前も出ない。
出ても1問程度です。ALSのことや住宅環境整備のことなんて我々の頃は出ないです。でも今は当たり前のように出題される。だからかなり変わっているのです。
そういう意味で浪人するほど不利ですよね。浪人すると合格率が30%を切ります。昨年の専門学校の浪人生の合格率は29%、大卒浪人生で42%、平均して3割程度です。
この数字は浪人生の全員が受けている数字ではなく、受験を諦めてしまっている人は含まれていません。現役合格率80%台と比較すると浪人生がどれだけ不利かわかると思います。
教えない教育
ーー なるほど。そうすると考えられなかった人たちが国家試験を通して考えられる人になって社会に出て行くということですよね。
中島先生 「どうしてもわからなかったら聞きにおいで」と言っています。
学生達は自ら「先生、お忙しいところ申し訳ないんですが・・」と言って私のところに質問に来きます。このような言葉は教えてもないのに使えるようになってくるんです。
今の日本の教育の方法では教員が”教えすぎ”なんですよ。教員が学生は「できない」から教員が教えなくてはと思いすぎているのです。
理学療法士はマッサージ師
ーー 経歴や今やっていることについて教えていただいてもよろしいですか?
中島先生 昭和53年3月に九州リハビリテーション大学校理学療法学科を卒業しまして、最初の2年間は福岡大学病院で働きました。まだ福岡市内に理学療法士(以下:PT)がいなかった時代で、私の前にPTが3回ほど就職したそうですが、どの人も大学病院に勤めても1週間持たなかったそうです。
リハビリテーションといってもほとんど整形外科後療法で、術後のマッサージが中心でした。当時整形外科の教授である高岸先生が「どうしてもPTを入れたい」と九州リハ大に相談されて私ともう一人(男性のPT)が入職する運びとなりました。
ただ、福岡大学病院では結局マッサージ師さんがたくさんいるからPTが入っても我々PTのことを看護師も医師も「マッサージ師さん」と呼ぶわけですよ。脳卒中のリハビリテーションというのはまだない時代ですので、脳卒中片麻痺の方は大学病院でも寝たきりという感じでした。
ですからリハ室に訓練に来ることはなく、年に数回まれにリハ処方が出ても、その依頼書は整形外科のドクターが書くという状況でした。
神経内科や内科系のドクターが処方箋を書けなかった時代だったんですね。ほとんどが整形外科の患者さんで、そのほとんどが手術後のマッサージで(依頼が)来るわけです。そんな中で一緒に入職した同級生のPTと一緒に院内勉強会立ち上げたりしましたが、自分としては納得いかないことが多かったです。
大学病院に入職して2年経過した頃、循環系のドクターが凄くリハに興味を持ってくれて「病院を自分でオープンするからそこでリハをやってくれないか?」という誘いを受けて、そのドクターの立ち上げた病院に移りました。
そこで良かったのは、循環系・心臓リハの勉強ができたこと。月1回循環器で有名な病院で勉強会へ行かせていただきました。また温泉療法と心臓リハをそのドクターが推進されました。勉強はできていたのですが、その後結婚とともに福岡に戻ることになりました。
学ぶ技術と教える技術
人生なんてのは長い時間あるわけで、自分が「よし」と思ったことをすべきだと思います。その中で、どうしてもPT・OTになりたいのだったら一人で悶々とするよりも1年でも早くみんなでやったほうがいいだろうと思います。
(今来ている子たちは)同じ学校から来ている子もいますが、多くは違う学校の子が集まっている。
そこに歳の差や浪人数の差なんてないんです。みんな同じ。学校の先生に「おまえは勉強しないな」と怒られていた学生が、ここでは必死になって勉強しています。
基本は勉強していない学生自身が悪いんですが、先生から「おまえはだめだ・おまえが悪い」と言われ続けていると先生たちを嫌いになって学校に寄り付かなくなってしまう。
先生にしてみたら叱咤激励で言っているわけじゃないですか。こいつをなんとかしたいと強く思うから先生も「勉強しろ!」って言うわけですが、具体的な勉強方法を教えるわけではない。だから学生も成績が伸びない。こうしてレベルが年々下がっているのです。
30年の教員生活を振り返る
中島先生 福岡に戻り、その当時としては珍しい老人リハに携わりました。その時もまだPTが少ない時代でしたが、その頃にようやく脳卒中リハが日本中でも増えてきました。
ですから一応整形外科2年間、循環器2年間、老人2年間みたいな感じで現場を経験しました。その頃九州で私立の養成校が設立され始めたのですが、教員になれる経験者がいなくて、私と主人(PT)が同時に熊本市内の養成校の教員になりました。
そこで23年間教員をしましたが、平成になったくらいから(養成校)4年制の運動がどんどん増えてきました。
しかし当時私の勤めていた養成校では4年制にする予定がありませんでした。先代理事長と新理事長の考えが食い違って、学校を4年制にするという予定も、また、3年制の養成校も続けるかどうかもわからないという状態でした。
「これでは我々(主人と私と他教員たち)の理想とする教育が出来ないんじゃないか」となったときに、知り合いの方が学校経営はじめられて、九州中央リハビリテーション学院の設立準備室に主人が移動しました。
一年遅れて私が教員として入って、そこで7年教員をしました。ただ7年教員をしていて思ったのが、30年間教員をやって「初期の学生さんのレベルと後半の学生さんのレベルはこんなにも違うのか」ということを感じました。
理由は、初期のころは養成校は少ないし、反して子供は多い。
リハビリテーションに関わる為には大学はなく専門学校しかない、医療系の仕事をしたいというときに、専門学校は少なく、1クラス40人しか入学できないので、入学試験で大半の人が落とされるわけです。入学試験のペーパー上である程度の点数を取れないと養成校に入れない。
だから受験勉強をしてきた学生しか入学できない。当然受験勉強をする中でも、受験高校に在学している学生しか合格できない時代でした。初期の頃は8〜10倍の倍率の中で選ばれていたため、勉強が出来ないという学生はほとんどいませんでした。
ですから、少なくともちょっと方向付けを学校の教員がしてあげれば、ポンと勉強には乗ることができました。勉強のリズムというのは受験勉強でやってきているから、パターンがわかれば出来ていくものです。
ところが小泉首相の時代に自由化政策が始まりリハビリテーションの大学、専門学校の乱立が起こりました。その結果、受験勉強で専門学校に来ていたレベルの学生達は大学だけでも何校も受験できるようになり大学へ進学するようになりました。
国立大学や私立大学、大学だけでも何校も受験できるようになる。ですから専門学校の受験生が減るわけです。
すると専門学校はペーパー上である程度の点数を取れないと養成校に入れない。だから受験勉強をしてきた学生しか入学できない。当然受験勉強をする中でも、受験高校に在学している学生しか合格できない時代でした。
初期の頃は8〜10倍の倍率の中で選ばれていたため、勉強が出来ないという学生はほとんどいませんでした。
ですから、少なくともちょっと方向付けを学校の教員がしてあげれば、ポンと勉強には乗ることができました。
勉強のリズムというのは受験勉強でやってきているから、パターンがわかれば出来ていくものです。
指定校推薦で専門学校に行って免許を取れば、就職できるから。結果的にリハだろうと看護だろうと”医療系の免許が取れる専門学校”という大きなくくりになっていました。
医療系がいいみたいだからという勧めだけで入学してくることが多いように感じます。
例えば熊本県だけでも5つの養成校(専門学校)があって、1つの学校内でも複数のクラスがあって、さらに大学が3つ加わります。
現在の熊本県の大学と専門学校の定員数を30年前と比較すると、30年前PT80名が現在PTが800名、つまり10倍。30年前OT40名が現在は260名、つまり7倍です。
そうすると当時専門学校を受験していた人たちは皆大学へ行き、そしたら私立の専門学校は、指定校で定員を埋めないと成り立たたのです。
指定校推薦で来る学生達は「勉強が嫌い・したことがない」ので「ペーパー試験を受けないで面接だけでいいんだったらお願いします」といって入ってきます。
勉強のやり方がわからない・漢字が書けない・計算が出来ない、という子たちが事実として入ってくるわけです。
暗記ではなく考える
今ここ(国試塾リハビリアカデミー)にいる子達も英語の綴りは最近やっと少しずつ読めるようになってきました。ローマ字読みでも上手く読めない。勉強したことがないから、勉強というのは「暗記」だと思っているんです。
考えるんじゃなくて。ですから専門学校の授業についていけるはずがないのですね。学校を辞めたいという子も多いです。「できない」ことが苦痛なんだと思います。できない自分だったり、親から怒られたりすることが苦痛。
勉強が好きではないし、今まで勉強のことを言われないようなレベルで高校まで来た。
ところがリハの専門学校に入った途端、点数を取れないと進級できないし、実習先では色々言われ、人間不信になりそれが終わったら国家試験という中で、学校を辞めたという学生が昔に比べると激増です。
昔は、「留年しても次は頑張ります」という感じで、勉強の仕方が悪かったり、やんちゃしていただけという子が多く、勉強さえちゃんとやればそれなりに通っていく学生達でした。
若気の至りというのがあるじゃないですか。でも今の子は若気の至りというレベルではありません。
2ヶ所目の4年制専門学校の2期生でPTOT合わせて18人が国試不合格でした。1ヶ所目の学校では23年間で6人ほどしか不合格者はいませんでした。同じやり方をしても18人落ちたのはショックでした。
彼らもショックだろうけど私もショックだった。教え方が悪かったんじゃないかなって。結果的にPTOT合わせて120人くらい受けているので、18人だとしても、国家試験合格率は90%を超えていたんですね。
でも私にしたら1人でも落ちたら次の年に受かるかもわからないし、就職できないじゃないですか。
だから次の年は理事長にお願いして、不合格学生のための特別クラスを作って1年間親とも話し合いをして予備校類似のことをやりました。
その1年間で思いました。「この子たち本当の意味での勉強をしてなかったんだな」と。話してみると医学用語のことがほとんどわかっていない。
それを私は見落としていました。世の中こういう困っている学生が沢山いるんじゃないかと思って、あと5年(その時55歳を過ぎていたので)今の学校の先生をするよりも、残りの期間は学校で出来ないことをするべきなんじゃないかと決心して、3年前に”国試塾リハビリアカデミー”をオープンしたのです。
働き方の選択肢
ーー 理学療法士になったら理学療法士をやらなければいけないと思っている人が多いのかなと思います。病院という働き方でなく色んな方向性も出てきている。これについてはどう思いますか?
中島先生 我々の頃はリハビリテーション病院がなかった。最初は病院の中でリハビリステーションなんて言う人もいましたよ。「どこの駅よ?」という感じですよね。病院で仕事をしている人も「リハビリテーション」という言葉も知らないのです。
そんな時代で、働く場所は病院しかなかった。とにかく病院に1人でも療法士がいてくれればという時代でした。しかし今これだけ療法士が増えて、行き先がいろんな方向に行くのは当たり前じゃないかなと思います。
人間が増えれば考え方も増えるし、可能性も出てきているのでPTにこだわらないで出来ることが増えてきています。
凄いなと思ったのが、5・6年働いてデイを起業したという教え子がいて、「ほー、勇気あるねー」と思いました。しかし考えてみれば色んな選択肢があるという環境も出来ているということ。
自分の頭の使い方によっては色んな働き方がある。選択肢の幅が法律上も広がってきたというのは事実かなとおもいます。
学生のみなさんへ
私が学生達に一番考えて欲しいことは”自分というものを大切にしてほしい”ということ。自分を大切にするとは、自分にとって良い人生を送ろうということ。
必ずそこには努力が必要なんです。努力なしで自分の人生が良くなることなんて絶対にありえません。それは身体的な努力かもしれないし、精神的な努力かもしれないし、知的な努力かもしれないし、どれかわからないけど精一杯やった努力というのは、必ず認められるときがきます。
でも努力なしでは自分の思っている人生には行き着かないわけですよ。
努力は自分一人で出来る場合もあれば、一人では出来ない場合もある。
自分一人で出来ないから、助けてくれる人に助けてもらっても私はいいのではないかなと思います。助けてもらおうとと一人だろうと、自分がこうなりたいという目標に向かっての努力は絶対に諦めないでやってほしい。
逃げてばかりだと結果はついてこないし、進めば必ず結果は出るんじゃないかなと。そう思って自分の思っていることを中途半端ではなく、精一杯やってほしいと思います。
中島雅美先生経歴
合同会社 REPLUS 国試塾リハビリアカデミー PTOT 学習教育研究所
一般社団法人日本医療教育協会 代表 塾長 所長 代表理事