言語聴覚士。理学療法士、作業療法士と並んで「リハビリ職種」とまとめられる仕事。ただ、なんとなく言語聴覚士の仕事をちゃんと理解できていないと感じる。言語聴覚士とは、何をする仕事なのか?
言葉だけを見れば、「言語」と「聴覚」に関連したリハビリを行う職業。という理解になるのだが、そんな単純なもののはずもなく。
そこで今回、フリーランスとして東京ー大阪間を行き来しながら言語聴覚士として働く、福原先生にお話を伺った。
これまで、言語聴覚士のインタビューを聞き、1つのキーワードが浮かび上がった。このキーワードが、言語聴覚士を理解するためのヒントになるのかもしれない。
本日はよろしくお願いします。福原さんはやはり映画:「英国王のスピーチ」をご覧になって、言語聴覚士(以下ST)になられたんですか?
「英国王のスピーチ」よりも前に資格をとったので、私のほうが先ですかね(笑)。STは、高校生のとき見学した病院で「私、絶対これになる!」と確信しました。そういうことってありません?
あービビビッときたみたいな!全くないですね。自分でも驚くくらいないです。ビッすらないです。(…皆さんあります?)
笑 病院でSTさんの見学をさせてもらって「STはコミュニケーションに障害がある方を対象としたお仕事だよ」とご説明いただいて、当時コミュニケーションを深めたいと思っていた私には、雷が落ちるほどの衝撃だったのを覚えています。
なるほどー(…正直カミナリが落ちる衝撃もわからない)そもそも、コミュニケーションを人生の中でピックアップした時期っていつ頃ですか?
小学生でそんなこと考えるんですね。(注:小学生男子は基本給食のことしか考えていません)コミュニケーションが苦手だったんですか?
苦手というより、我が道を行くタイプで、周りの目を気にせず発言している口でした。でもある時、男子の“陰口”を聞いてしまったんです。それが私のコミュニケーションに対する陰口で。
あーそういう男子いますよね(…。)どんな内容だったか覚えてますか?
何かと前に出て発言する“出たがり屋さん”というニュアンスだったと思います。
あーそういう女子いましたね「ちょっと男子(手を腰に当てて)!真面目にやってよね!」みたいな。
笑 その時に「私は周りの反応を気にしてなかったな。このままだとマズイかも」と反省したのがコミュニケーションに関心をもった始まりだと思います。
それが自分の中に、もう一人の自分を作るきっかけになったんですね。
そうですね。その日から「1人コミュニケーション反省会」なるものを毎晩始めました。「今日はこの発言がいけなかった」「あの子にはこういう言い方をすればよかった」とか。そんな習慣が高校生くらいまで続いていましたね。
はい、これまでとは一変しました。しかも中学生になれば、女子独特のいわゆるグループができたので、自由な発言はますます失われていきましたね。
(…4人組の中の1人は大体、そのグループが嫌いみたいな)でも、そのような経験がある前から、“内なる声に耳を傾ける系女子”だったんですか?
わりと内観好きだったと思います。同様に、人の内側を掘っていくのも好きなので、人の生い立ち話が“大好物”で。それが今の仕事に繋がったんだと思います。
(…大好物)そんな学生生活を経て、STになられたわけですが、現在フリーランスとして活動されていると思います。それまでは、病院勤務を?
STの資格を取って10年になるのですが、STとして回復期に勤務していたのが3年。そのあとSTを3年離れて、前職では4年間訪問看護ステーションで管理職をしていました。じゃあ空白の3年は何やってたんだ?って話ですが、まず1年は世界一周をしてました。その後、子育て支援系の企業で、全国に保育園を作る事業に2年弱携わっていました。
ちょっと色々ありすぎるので、ひとつずつ。世界一周はなぜですか?
はい笑。3年間の病院勤務で、「私はこのままSTとして働いていいのか?」と考える機会がありました。
勤務時代、患者さん含めホントに良い出会いに恵まれました。そこで思い知ったのが、「自分はなんて無知で、“世間知らず”なんだろう」ということでした。
(…Everything (It's you)が頭の中で鳴り止みません)
STになるまでこの分野一筋で突っ走り、ある意味専門性には長けていたかもしれませんが、一般社会に対しては相当な無知だったと思います。一方で、患者さんは様々な社会経験があって、人生においても大先輩で。患者さんのバックグラウンドを含めて障害をみる必要がある職業なのに、当時の自分は肝心なバックグラウンドの想像が難しかったんです。
その結果、すごーい外に出て世界一周したと。でも、その基準は言語聴覚にあったんですね。
はい。この仕事が大好きなので、一生続けるために一旦離れようと!
そうですね。世界一周したことで、専門性だけを拠り所にしていた自分から脱却して、“自分の小ささ”を知りました。
自分の小ささを知った上で、患者さんと接するのとでは、向き合い方が変わりました。ただ残念なのは、世界一周に行ったから自分が大きくなるわけではなく、ほんのちょっと自分の視野が広がる程度かなと。それでもやらないよりはやったほうがマシです。 今まで目に見えていなかった壁を「パリンパリン」って割って、ちょっと広げて。また見えない壁が現れて、また割る。この小さな繰り返しが大切な気がします。
(…パリンパリン)自分の殻を破るって簡単ではないですよね。それができたのは、福原さん的になぜだと思いますか?
そうですね。患者さん達に恵まれたからだと思います。社会のいろんなことを教わって、あまりにも無知な自分が恥ずかしく思えてきました。そんな恥ずかしい自分を、そのままにすることはできないですから、壁を破ることができたのだと思います。
同感です。言語訓練という技術的な部分にフォーカスしすぎると、STの職務は務まらないのではないかと私は思います。そもそも、コミュニケーション自体が心地良ければ、人って沢山話したいじゃないですか。そういう意味で、STは“目に見えない心地よさを引き出せる力”が高い方が得ですし、それはSTのことだけを学んでいては身につかないと思います。
(…目に見えない心地よさを引き出せる力。名言の予感)その点、福原さんは、病院も地域も経験されていますが、STが行う内容に違いはありましたか?
全然違いましたね。きっと私は病院に戻ることはできないと思います。
アプローチに対する結果の見え方が違うんです。実際の問題の解決につながっているのか否かは、在宅の方がわかりやすいかと思います。その点で個人的には在宅にやりがいを感じました。
病院内ではわかりにくい、在宅特有の壁に気づくことができるということですね。
例えば、患者さんとご家族の間でコミュニケーションにトラブルが発生している場合、STがその間に入って問題解決を行うことができます。病院だと、患者さんの家族は訓練室の外で、患者さんは訓練室で機能訓練という形にどうしてもなりがちです。それが時に退院後の課題解決からは遠く感じてしまうことがあります。
病院、在宅と見方の違う分野を経て、現在フリーランスとのことですが、こちらは自費にて活動されているという理解でよろしいですか?
そういうお問い合わせもいただくのですが、自費リハよりも、対福祉施設のお仕事を優先にしています。現在は6企業と契約をしていて、月の半分、東京と大阪を行き来しています。
笑 6企業の中でも、非常勤契約の場合もあれば、業務委託での契約もあります。内訳は、主に児童発達支援事業所、放課後等デイサービス、訪問看護ステーションで9割が小児となります。
そうですね。私は移動をしながら生活し、働くことが心地よいんです。でも、現状のSTだと病院にいて、そこから動くことができません。大好きなSTを続けつつ、ライフスタイルを守るためにフリーランスになりました。
本当に大好きなんです。でも小児分野はSTが不足しているにもかかわらず、需要が多い状態でマーケットがとてもアンバランスです。
今後は、さらに企業数を増やしていくということですか?
実際には現状で手一杯なのですが、今私がこのような対福祉施設に向けた働き方をしてみて、すごくニーズがあるし、STの存在が喜ばれることがわかりました。
だからこそ、私と同じような働き方を望んでいる方とチームを組んで、おいおいは、教育もしつつ、福祉施設の方と協働できる言語聴覚士を派遣するお仕事をしていきたいと考えています。STは女性が多い資格ですが、結婚や出産後資格を生かしきれない方がたくさんいます。福祉施設への派遣は、短時間勤務も可能なことが多いので、STの現状にもマッチすると考えています。
ライフワークバランスを考える方ですね。ご結婚されて、子育てをしながら働きにくいSTさんも多いでしょうし。せっかくの専門家がもったいないですね。
子育ての経験は、STの小児分野で働く上で大きくプラスだと思います。そんな方の力がいきる社会だといいなぁと思います。
ぜひ、興味のあるSTは
POSTまでご連絡ください。ということで本日は、お時間いただきありがとうございました!
いかがでしたでしょうか。キーワードとして「世間」がピックアップされる、言語聴覚士の仕事ですが、これは理学療法士も、作業療法士も他ではありません。
では世間とはなんでしょうか。しばしば、社会と同義で使われることがありますが、本当に同じ意味でしょうか。社会はより抽象的で、世間はそれよりも具体的であると感じます。
私たち個人は、世間と関連しながら生き、日本では度々「世間」を物差しとして使います。一方で、「内なる声に耳を傾ける」ことは、個人にあたり、個人と世間の間を上手に綱渡りしながら生きています。
さらに、患者という個人を交えれば、「自分と世間と患者という個人」の間で行われるのがリハビリテーションというものだということでしょう。ともなれば、世間を知ることは、セラピストと患者の間を知る、「間主観」的視点を身につけるために必要な教養なのだと思います。
こちらからは以上です!