今回は、コントラバス奏者のお悩みをご紹介してまいります。「高い音を出そうとすると音が細くなってしまう」コントラバスはとても大きな楽器で、その長さは平均的な日本の成人男性の身長よりも高い楽器です。
オーケストラ等の音楽の中でも低い音を担当する楽器であり、太い金属の弦が4本もしくは5本張られ、その張力は30kg重ほどになります。
そのコントラバスで高い音を演奏する場合には、楽器本体のやや低いところまでひだり上肢を伸ばし、力学的に不利な姿勢で硬く張られた弦を押さえなくてはならないので、どうしても出てくる音が細くなったり、初心者では音程が不安定になったりします。 今回は、この解決方法を、理学療法士の視点から探ってまいります。
コントラバスの紹介
楽器の構え方と重さの支え方
まずはコントラバスの構え方をご覧ください。 重量は10kg前後ありますが、楽器本体の下部についているピンで床に支えられますので、奏者は楽器の重量を直接支える必要はなく、ただ倒れないように軽く触れているだけで楽器は立ったまま安定します。
どうやって弦を押さえるのか
弦を押さえるのに最も効率の良い方向は、指板(弦の下の黒い部分)に対して垂直に弦を押さえる方向です。こうすることによって、弦を押さえる場所がミリ単位の違いで変わってしまうコントラバスの音程を意のままにコントロールしやすいばかりか、指を揺らして意図的に音程を上下させて音を豊かにするヴィヴラート奏法も滑らかにできるようになります。
弦を押さえる場所は、深指屈筋腱の付着部位である末節骨粗面です。この部位は、ペンフィールドのホムンクルスが示す通り、感覚受容器からの豊富なフィードバックも得られやすい部位です。
従来のフィンガリングの教え方
高い音を弾く時にはハイポジションで弾きます
コントラバスで高い音を弾くときには、楽器の中心部に近い指板の上の弦を押さえなくてはなりません。立位での演奏姿勢から考えると、ひだり腋窩からかなり下方の遠いところをひだり指尖で押さえることになります。この姿勢をハイポジションといいます。
ハイポジションでのフィンガリング
ハイポジションのフィンガリングという運動の目的は「ひだり中指の指尖にて、正確な場所の弦を押さえる」です。この場合、目的が指尖にありますので、クローズドキネティックチェインで読み解いて行く方が理にかなっています。
希望する弦の振動数を生成させるピンポイントの場所は、その長時間の練習により、目印がなくても正確に押さえることが可能です。
その場所に中指の指尖を置き、指板に向かって押さえ込む動きが開始されます。 この際、中指の屈曲運動を優先させるあまり、深指屈筋や浅指屈筋ばかりを用いてしまうと、コントラバスの弦の張力に負けてしまうため、すぐに筋疲労を招来させてしまいます。また、そればかりではなく、将来的には手根管症候群を惹起させる可能性も否定することができません。
このため、それらの指屈筋を用いて指節間関節を屈曲位に保つことはもちろんながら、そればかりではなく、中手指節間関節の軽度屈曲および手関節軽度掌屈位を、それぞれの関節の屈筋と伸筋の同時収縮により保持し、弦を押さえる必要があります。
また、手関節においては軽度の尺側偏位を伴います。尺側偏位においては、近位の手根骨列は手背側へ突出する傾向になるため、手関節における掌屈および背屈の自由度は、手関節中間位よりは低下します。このことが、弦を押さえるための手関節の安定に少なからず寄与しています。
ハイポジションを解剖学から分析する
コントラバスを演奏する時には、通常の音域を出す時の「ローポジション」と、高い音を出す時の「ハイポジション」と使い分けます。この2つのポジションでは、全く異なった身体の使い方をします。そのそれぞれの特徴から、まずはご説明申し上げます。
なお、今回はガイドラインとして、トーマス・マイヤース氏が提唱する「アナトミートレイン」の解剖学的知見を利用いたします。
楽器の構え方と重さの支え方
ローポジションでは、ひだり母指をネックの裏側や指板の端に当て、ひだり母指を対立位にします。この対立位を取るために、まず母指球筋である短母指外転筋や短母指屈筋、母指対立筋、母指内転筋が収縮します。
そして、この母指球筋から、解剖学的に物理的な連結を保ちながら、外側手根側副靭帯・橈骨・上腕二頭筋・小胸筋・鎖骨胸筋筋膜を経て、最終的には第3〜5肋骨が「母指の運動の土台」となるのです。この”解剖学的な事実”から考えると、コントラバス奏者は「胸から」弾いているということが理解できます。
一部の教義では「腕は胸鎖関節から動く」と教えられますが、実はそれだけでは不十分なのです。なぜならば、胸鎖関節を構成する胸骨は、第3〜5肋骨が動くことによりその動きを保障され、上肢全体の動きはよりスムーズになることが、解剖学的見地から証明できるためです。
つまり、コントラバスをローポジションで弾いている際には、母指の能動的な対立運動により、ひだり上肢全体のクローズドキネティックチェインが発動されます。これに端を発して、ひだり母指と物理的に接続を持つ胸骨までもが、ひだり上肢と共に動く一つの柔軟な構造体となるのです。
これをもって、母指の指腹を介して、奏者の胸骨とコントラバスが一体化します。結果的に、奏者の身体の延長としてコントラバスを操作することが可能となるため、示指から小指の任意の末節骨粗面に十分な圧力をかけ、コントラバスの弦を指板に対して垂直に圧をかけることができるのです。
楽器の構え方と重さの支え方
では、ハイポジションで演奏している時の身体の動きはどうでしょうか。 コントラバスは非常に大型の楽器であり、ハイポジションで弦を押さえるときには、楽器本体にもたれかかるようにして弦を押さえます。
このように楽器にもたれかかって弦を押さえる姿勢をとった場合に、ローポジションとは違ったクローズドキネティックチェインが要求されます。
ローポシジョンでの演奏においては、胸骨を土台として、ひだり上肢は任意の場所で自由に固定し弦を押さえるという動きが可能でした。つまり、全身を使ってひだり指尖をコントロールできていたのです。
しかしながら、ハイポジションでの演奏では、ひだり前腕を楽器本体に接触させなければ、ひだり指尖が指板に届かないのです。
このことは、すなわち、末節骨粗面において開始されたクローズドキネティックチェインが、前腕遠位で終了することを意味し、ローポジションのように全身を連携させて力学的に効率よく弦を押さえるといった運動が行えなくなってしまいます。
一方、オープンキネティックチェインで観察した場合は、末節骨粗面で力強く弦を押さえる運動は、その土台を前腕遠位(=コントラバスの胴体に接触させている身体の部位)に求めることとなり、ローポジションでの全身での演奏と比較して、非常に限局した運動となります。
つまり、ハイポジションでの演奏では、30kg重の張力を持つ弦を、手指の屈筋群および手関節掌屈筋群のみで行わなくてはなりません。そのため、ローポジションとは比較にならないくらいの関節トルクと関節面圧縮応力を、指節間関節や橈骨手根関節・手根間関節といった、大変小さな関節面に要求することになります。
このことが、特に初心者においては「音が響かない」「指が痛くなる」「音程が合わせにくい」といった訴えにつながりやすいのです。
それでは、コントラバス奏者に対して、ハイポジションの時のこれらの問題について、理学療法士はどのような解決策を提案できるのでしょうか。
ハイポジションと腰痛
ハイポジションにおいては、その不自然な姿勢から、腰痛を訴える奏者も多くいらっしゃいます。そのハイポジションでの演奏姿勢には、前腕から先の運動に集中している様子が伺えます。
ハイポジションでの運動をより行いやすくするためには、ひだり上肢をコントラバスに乗せる意識に加えて、ひだり上肢を脊柱から自然と離すという意識を加えることで改善する場合があります。
再びアナトミートレインの考え方に準じて論じます。
ひだり上肢を体幹から離すという考え方
ひだり上肢を脊柱から自然と離すという意識を持った場合、多くの奏者は肩甲上腕関節の外転や屈曲にて、それを行おうとします。もう少し意識の高い奏者であると、肩甲胸郭関節の上方回旋及び外転を伴わせます。
しかしながら、前述のように、コントラバスは非常に大きな楽器のため、ハイポジションでの演奏に必要なひだり上肢のリーチは、肩甲骨からの運動開始では十分ではないのです。
ハイポジションで弦を押さえるためには、肩甲骨からの運動開始を含めた、ひだり上肢全体を十分に弦に近づけることと、それを可能にさせる体幹の対側回旋が必要となります。
ひだり上肢全体を十分に弦に近づける
弦を押さえるために、ひだり上肢全体を十分に弦に近づける動作は、ひだり手指の伸筋群から外側上腕筋間中隔-三角筋-僧帽筋まで筋膜により物理的に繋がった1つのつながりを、積極的に弦に近づけることにより、さらに容易となります。
さて、ひだり手指の背側から始まるこの1つのつながりの中に僧帽筋が含まれているという解剖学的事実からは、その付着部位である頚椎から下位胸椎・項靭帯・棘上靭帯を、静止立位姿勢における正中線を超えてひだり方向にずらすことにより、さらに効率良く弦を押さえる力を発揮させることにつなげることができます。
体幹の対側回旋
ひだり上肢全体を十分に弦に近づけることに加え、体幹のみぎ回旋を同時に行うと、上位胸椎の水平面においては、みぎ方向への回転運動が生じ、上位胸椎の前額面においてはひだり方向への側屈が容易となります。これは、各胸椎椎体の上関節面と下関節面が、水平面に対して60°の角度を持って相対しており、同時に前額面に対して20°の角度を持っているという解剖学的特徴によります。
この上下の両関節面の構造的な特長により、コントラバス奏者が、頚椎から下位胸椎に至る棘突起によって構成される想定上の垂線を、静止立位姿勢における体幹の体表投影面の正中線を超えてひだり方向にずらした場合、前額面における体幹のひだり方向への移動、水平面における体幹のみぎ方向への回転が生じます。
これにより、ひだり手指を、ハイポジションで弦を押さえるのに適した位置に持ってくることができるため、ローポジションでの効率的なクローズドキネティックチェインと比較して力学的に不利なオープンキネティックチェインの姿勢であっても、弦を押さえることが比較的容易となります。
複合運動の結果
つまり、ハイポジションにおいては、意図的な体幹のみぎ回旋およびひだり側屈を行うことにより、ひだり上肢を指板の下の方に伸ばしやすくなり、ひだり手指や手関節の屈筋群ばかりに頼ることなく、ひだり前腕の重さも利用して弦を押さえることが可能となるのです。 この運動学的に効率的な姿勢により、水平面上における回転運動に不利な腰椎椎間関節に負担を強いる事なく、ひだり上肢を遠くへ伸ばしたハイポジションでの演奏が容易となり、結果的に腰痛を減らす事にもつながるのです。
まとめ
コントラバスのハイポジションの演奏では、しばしば楽器にもたれかかる事が推奨されます。これは、今回のような筋膜の連続から考えると、とても自然な指導法と言えます。
しかしながら、楽器本体にもたれるあまり、頭部が指板よりも極端に前に出てしまうと、頭部の伸展位保持のため、頚部の伸筋群が賦活され、その伸筋群に含まれる僧帽筋も同様に収縮を開始し、筋膜で接続されているひだり手指の滑らかな運動を阻害してしまう可能性が出てまいります。
さらに、ハイポジションでのボウイングにおいては、その傾向は顕著となり、みぎ上肢による下げ弓が行いにくくもなります。
つまり、バス椅子に腰掛けて演奏するクラシックの演奏場面以外では、腰部で立位の平衡を取り続けるのではなく、演奏するポジションに応じた上肢帯の動きを自然に誘導させるための体幹の回旋や側屈が、ひだり手指の動きには必要であることが、解剖学からも伺えるのです。
今回のZOOMレクチャーでは、実際にヴォーカリスト、もしくは管楽器奏者をお招きして、評価からアプローチまでの流れをデモで行っていただく予定です。
解剖学を深く学ばれている山本先生に、ミュージシャン×理学療法の携わり方を伺います。
◆講師プロフィール
山本 篤 先生
理学療法士・Merge Labo代表
大阪芸術大学 非常勤講師として 解剖学の講義を担当 (年間90単位 135時間)
サックス奏者として、30年以上の演奏歴、サックスアンサンブルから 吹奏楽・ビッグバンドまで、 音楽の演奏での身体の使い方を 自分自身の感覚から学んでいます。
◆概要
【日時】 6月27日(土) 19:30~21:30
【参加費】3,300円
※POSTのプレミアム会員(770円/月)・アカデミア会員の方は無料です。
【定員】50名
【参加方法】ZOOM(オンライン会議室)にて行います。お申し込みの方へ、後日専用の視聴ページをご案内致します。
【申し込み】以下のサイトからお申し込みください。