概要
非感染性疾患の危険因子に関する国際共同疫学研究グループ(NCD Risk Factor Collaboration, NCD-RisC、エヌシーディーリスク)は、1990 年から 2019 年までの 200 か国・地域における高血圧の薬物治療管理状況の長期推移を明らかにしました。
本研究は、世界の高血圧の薬物治療管理に関するこれまでで最大規模の研究で、英国のインペリアル・カレッジ・ロンドンと世界保健機関(WHO)が中心となり、世界中の 1,100 人以上の医師と研究者が参加しました。日本からは 19 名の研究者が参加し、国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所国立健康・栄養研究所国際栄養情報センター国際保健統計研究室の池田奈由室長が、世界各国 36 名で構成された論文執筆班に加わりました。
世界の 30~79 歳の高血圧患者数は 1990 年の 6 億 5 千万人から 2019 年の 12 億 8千万人に倍増し、7 億人以上が治療を受けていないと推定されました。今後、特に低所得国と中所得国を中心に高血圧患者数の増加が予想され、国際社会で低費用の薬物治療による高血圧管理を支援する必要性が指摘されました。
本研究成果は、WHO や各国の高血圧の診療に関するガイドラインや、保健医療政策の立案・評価に貢献するものと期待できます。
本研究は、医学雑誌『Lancet』のオンライン版(8 月 24 日付)に掲載されました。
背景
高血圧は、心臓や脳、腎臓の病気を発症する危険度を高めることから、喫煙と並び世界の疾患と死亡の主な要因となっています。家庭や健診での血圧測定で高血圧を容易に発見し、安価な薬物療法で血圧を管理することが可能です。
米国や日本など世界の一部の国々では、国の健康調査から高血圧患者数、診断と服薬、血圧管理の状況を評価し、高血圧に関する保健医療政策の立案・評価における参考資料として活用しています。しかし、国によってデータ収集方法が異なっていたり、十分な健康調査を実施できない国もあったりするため、世界全体での高血圧管理の長期的推移や国際比較が明らかではありませんでした。
今回、NCD-RisC は、世界中の既存の健康調査から収集した膨大なデータにベイズ階層モデルを応用し、1990 年以降の 200 か国・地域における 30~79 歳人口の高血圧治療管理状況の長期推移を明らかにしました。
方法
収縮期血圧 140 mmHg 以上または拡張期血圧 90 mmHg 以上または血圧を下げる薬を服用中の者を高血圧患者と定義し、人口に占める高血圧患者の割合を有病率としました。さらに高血圧患者のうち、診断を受けたことがある者の割合を診断率、血圧を下げる薬を服用中の者の割合を治療率、収縮期血圧 140 mmHg 未満かつ拡張期血圧 90mmHg 未満に管理された者の割合を管理率としました。
NCD-RisC はまず、1990~2019 年に 184 か国・地域の一般住民を対象とする 1,201 の健康調査を抽出しました。これらの調査の中には、日本の国民健康・栄養調査や多目的コホート研究等のコホート調査も含まれています。人口でみると 184 か国・地域で世界全体の 99%を占めており、世界の高血圧の長期推移に関する研究としてはこれまでで最大規模のものです。30~79 歳の約 1 億人分のデータから、高血圧有病率、診断率、治療率、管理率のデータベースを作成しました。
この集計データにベイズ階層モデルを応用し、1990~2019 年の 200 か国・地域における成人の高血圧有病率と診断率、治療率、管理率を推定しました。ベイズ階層モデルは、データのない国・地域や、データがあっても年次や性別、年齢によってデータが不足している場合に、データを調整して推定を行うことができる統計モデルです。
結果と政策的示唆
1990 年から 2019 年までの世界の高血圧有病率は 32~33%で、ほとんど変化がありませんでした。しかし、人口増加と高齢化により、高血圧患者数は 1990 年の約 6 億 5千万人から 2019 年の約 12 億 8 千万人(女性 6 億 3 千万人、男性 6 億 5 千万人)へほぼ倍増しました。高血圧は高所得国から低所得国と中所得国へシフトしており、有病率は主に高所得国で減少し、多くの低・中所得国で増加しました。2019 年の低所得国と中所得国の高血圧患者は 10 億人以上に上り、世界全体の 82%を占めていました。
2019 年に最も有病率の低かった国・地域は、カナダ、ペルー、スイスなどでした。一方、最も有病率の高かった国・地域は、女性ではドミニカ共和国、ジャマイカ、パラグアイなどで、男性ではパラグアイ、ハンガリー、ポーランドなどでした(各国の値と順位は補足説明を参照)。
診断と治療に格差
2019 年の世界の高血圧患者のうち、5 億 8 千万人(女性の 41%、男性の 51%)が診断を受けたことがなく、高血圧に気づいていないと推定されました。さらに、7 億 2 千万人の高血圧患者(女性の 53%、男性の 62%)が、必要とする治療を受けていないと推定されました。薬物治療によって血圧が正常な値に管理されている高血圧患者は、女性では 4 人に 1 人以下、男性では 5 人に 1 人以下でした。
2019 年の各国・地域の治療率をみると、カナダやアイスランド、韓国では男女ともに治療率が 70%以上でしたが、サハラ以南のアフリカや中央・南・東南アジア、太平洋諸島の国・地域では女性で 25%、男性で 20%を下回っており、高血圧治療に国際的な不平等が存在することが示されました。一方で、コスタリカやカザフスタンといったいくつかの中所得国では高血圧治療の拡大に成功し、ほとんどの高所得国よりも高い治療率を達成しました。
論文の連絡責任著者でインペリアル・カレッジ・ロンドン公衆衛生大学院の地球環境保健学教授である Majid Ezzati 氏は、「高血圧治療が始まってから半世紀近くがたち、高血圧を容易に診断して安価な薬で治療できるようになりました。しかし、世界でこれほど多くの高血圧患者が必要な治療を受けていないことは、公衆衛生上の失敗です」と述べています。
同大学院の研究員で、分析の中心的役割を担った Bin Zhou 氏は、「1990 年以降、高血圧の治療率と管理率はほとんどの国・地域で改善しましたが、サハラ以南のアフリカや太平洋諸島ではほとんど変化のない国々も多く、国際援助機関や各国政府は、この国際的に重要な健康リスクに対する公平な医療の提供を最優先課題とする必要があります」と述べています。
日本では、30 年間で有病率が減少し、診断率と治療率、管理率が増加しました。しかし、国際的にみると大きな改善の余地があり、今後の日本の保健医療制度において高血圧管理のための取り組みをより一層強化することが望まれます。
新しい WHO 高血圧治療ガイドライン
本研究成果を受け、本日、WHO は成人の高血圧の薬物治療に関するガイドラインを発表し、各国が高血圧管理を改善するための指針を示しました。本ガイドラインの作成を指揮した WHO の Department of Noncommunicable Diseases の Taskeen Khan 氏は、「20 年ぶりに新しくなった高血圧治療に関する国際ガイドラインでは、成人の高血圧への薬物治療開始に関する最新のエビデンスに基づいた指針が示されています」と述べています。
ガイドラインには、薬物治療を開始する血圧値、薬物の種類と併用、血圧管理目標値、血圧測定頻度などに関する指針が含まれています。また、医師やその他の医療従事者が高血圧の診断と管理を改善するための基本が示されています。
WHO の Department of Noncommunicable Diseases の部長である Bente Mikkelsen 氏は、「高血圧管理を改善することの必要性は、いくらでも強調してよいことです。この新しいガイドラインの指針に沿って、高血圧薬物治療へのアクセスを改善し、より健康的な食事と定期的な運動を推進し、喫煙をより厳格に規制することにより、国と地域での生命を守り、保健医療支出を削減することができると考えられます」と述べています。
原論文情報
NCD Risk Factor Collaboration (NCD-RisC). Worldwide trends in hypertension prevalence and progress in treatment and control from 1990 to 2019: a pooled analysis of 1,201 populationrepresentative studies with 104 million participants. The Lancet. DOI: 10.1016/S0140-6736(21)01330-1.
https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/piiS0140-6736(21)01330-1/fulltext
結果は NCD-RisCウェブサイト(https://ncdrisc.org/)から入手可能です。
補足説明
世界と日本の高血圧の有病率と治療率(年齢調整済み)
高血圧有病率の上位と下位 10 か国・地域(2019 年、年齢調整済み、昇順)
高血圧治療率の上位と下位 10 か国・地域(2019 年、年齢調整済み、降順)
1990~2019 年の有病率の減少が最も大きい国・地域(%ポイント)
1990~2019 年の有病率の増加が最も大きい国・地域(%ポイント)
1990~2019 年の治療率の増加が最も大きい国・地域(%ポイント)
詳細▶︎https://www.nibiohn.go.jp/information/nihn/2021/08/007256.html
注)紹介している論文の多くは、単に論文による最新の実験や分析等の成果報告に過ぎません。論文で報告された新たな知見が社会へ実装されるには、多くの場合、さらに研究や実証を進める必要があります。最新の研究成果の利用に際しては、専門家の指導を受けるなど十分配慮するようにしてください。