国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター(NCNP)精神保健研究所 地域・司法精神医療研究部、認知行動療法センター、日本ラグビーフットボール選手会のグループは、日本のアスリートのメンタルヘルスケアとして求められる具体的なアプローチについて検討するため、ジャパンラグビートップリーグ男性ラグビー選手(当時)に実施した調査(2019 年 12 月〜2020 年1 月)から、ラグビー選手におけるこころの不調への対処行動の特徴を明らかにしました。調査に参加した日本人選手 233 名のデータから、(1)うつ状態の傾向が強いほど他者に相談しようと考える傾向が小さい、(2)メンタルヘルスに関する知識度が高い人ほど、こころの不調を抱える他者に肯定的な態度を持つ、(3)メンタルヘルスに関する知識の程度と自身の不調時の相談行動に関する考えには有意な関係がない、という可能性を示唆する結果が得られました。
本論文は、日本のアスリートにおけるこころの不調への対処行動の特徴について、国際学術誌で報告した初の研究となりました。ラグビー選手に限定された調査結果ではありますが、現在の日本では、メンタルヘルスケアが必要なアスリートほど助けを求めず、一人で悩みを抱え込んでいる可能性があると考えられました。日本のアスリートにとって、ケアを受けやすい環境作りの構築は、喫緊の課題かもしれません。
本研究成果は日本時間 2021 年 8 月 26 日午前 3 時(米国東部時間 8 月 25 日午後 2 時)に、「PLOS ONE」に掲載されました。
■研究の背景
こころの不調を経験することは、アスリートにおいても珍しくないことは数々の調査から明らかです。国際的には、アスリートのための体系的なメンタルヘルスケアシステムの導入が推奨され、オーストラリア等では既に運用が始まっています。さらに、国際オリンピック委員会は、2021 年 5 月、IOC Mental health in elite athletes toolkit を公開し、メンタルヘルス支援策のあり方を提案しました。一方、日本におけるアスリートのメンタルヘルスケアは、個人やチームレベルの実践が存在する可能性はあるものの体系的なシステムの整備には至っていない状況です。
メンタルヘルスケアを受けることには一般的に抵抗があるとされますが、そのような抵抗感は、メンタルヘルスの知識を高めるようなアプローチにより改善することが知られています。アスリートにおいてもそのようなアプローチは有効なのでしょうか。この研究では、メンタルヘルスの知識、態度、行動について、こころの不調の程度も含めて、アスリートの現在のメンタルヘ2国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター(NCNP)ルス対処行動の特徴を分析することにしました。
■研究の内容
方法:
2019 年 12 月〜2020 年 1 月、日本ラグビーフットボール選手会から各選手に、web アンケート調査が配布され、調査説明に同意した選手から回答を得ました。調査項目には、メンタルヘルスの知識*2、こころの不調を抱えた人への態度*3、メンタルヘルス対処行動に関する考え*4、うつの程度*5が含まれました。本調査を分析するにあたっては、国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター倫理委員会の承認を受けています。
結果:
回答があった 251 名のうち、今回は 233 名日本人選手のデータを用いて、メンタルヘルスの知識、態度、行動、抑うつ傾向の関連について分析しました。対象者のメンタルヘルスの知識、態度、行動の関係は図 1 の通りでした。メンタルヘルスの知識度が高いことと不調を抱える人への肯定的な態度との間に関連が認められました。こころの不調を抱えた人との接触経験の多さも、そのような良好な態度との関係が認められました。他方、自身のこころの不調時の相談行動に関する考えとメンタルヘルスの知識との関係は見られませんでした。また、うつ状態の傾向が強いことと、他者への相談を控えようと考える傾向との間に関連が見られました。
図1:メンタルヘルスの知識・態度・行動・こころの不調の関係
■結果から言えること
本知見では、現在の日本のラグビー選手においては、単なる知識提供のみでは、不調の際に助けを求めるような行動を促すことにはつながりにくいこと、メンタルヘルスケアが必要な人ほど、相談せずに一人で抱え込んでいる可能性があることが示唆されました。この結果から、アスリートのメンタルヘルスケアシステムには、こころの不調に関して、アスリート自身にも関係のあることとして認識されるような教育的介入に加え、ケアを受けやすい環境作りの構築や、相談行動によって得られるメリットを体験できるようなアプローチなどが含まれることが望ましいと考えられます。ただし、本研究では知識、態度、行動、心理的な不調の関連性を検討したのみですので、今回関連が見出されたもの同士の因果関係についてはさらなる検証が必要です。
本調査は、日本ラグビーフットボール選手会と研究者の共同プロジェクト「よわいはつよいプロジェクト」から生まれた取り組みです。この共同プロジェクトは、日本のスポーツ界において、メンタルフィットネスへの意識を高め、アスリートへの有効なメンタルヘルス支援策の開発を目的にしています。「よわいはつよいプロジェクト」の web サイトでは、アスリートが、心の状態を認識し、受け入れ、困難への柔軟な対応力を高めるための情報を発信しています。つらいことを一人で耐えるという対処ではなく解決すべき課題として信頼できる人と共有し支え合い、共に問題を解決して前に進むというメッセージの発信を行う「場」を提供しています。
■論文情報
雑誌名:PLOS ONE
論文タイトル:Association of mental health help-seeking with mental health-related knowledge and stigmain Japan Rugby Top League players
著者:Yasutaka Ojio*, Asami Matsunaga, Kensuke Hatakeyama, Shin Kawamura, Masanori Horiguchi, Goro Yoshitani, Ayako Kanie, Masaru Horikoshi, Chiyo Fujii
DOI:10.1371/journal.pone.0256125
URL:https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0256125
■用語解説
*1メンタルフィットネス:心の状態を正しく認識し、受け容れて、柔軟に対応する力。心の健康やそのケアの必要性について、より受け入れやすいフレーズとして、ニュージーランドラグビー協会が発案し使用している。
*2メンタルヘルスの知識: 罹患率, 原因, 競技への影響, 生活環境の影響, 治療可能性を問う正誤問題で評価した。
*3こころの不調を抱えた人への態度:精神疾患をもつ人との経験や行動の意図(日本語版Reported and Intended Behaviour Scale:RIBS-J)で評価した。
*4メンタルヘルス対処行動に関する考え:援助希求の必要性の認識・意図、精神不調の開示意図に関する尺度で評価した。
*5うつの程度;BDSA(Baron Depression Screener for Athletes)を用いた。BDSA は、アスリートに特化した抑うつの評価尺度。合計得点は 0 点から 20 点までで、得点が高いほどうつ症状の傾向が強いこと意味する。
■よわいはつよいプロジェクト
ウェブサイト URL:https://yowatsuyo.com/
■本研究への支援
公益財団法人トヨタ財団 2019 年度「先端技術と共創する新たな人間社会」(代表者 小塩靖崇)
詳細▶︎https://www.ncnp.go.jp/topics/2021/20210826p.html
注)紹介している論文の多くは、単に論文による最新の実験や分析等の成果報告に過ぎません。論文で報告された新たな知見が社会へ実装されるには、多くの場合、さらに研究や実証を進める必要があります。最新の研究成果の利用に際しては、専門家の指導を受けるなど十分配慮するようにしてください。