脳卒中者の運動機能の回復は,運動に関連する脳領域(一次運動野および補足運動野)の回復に強く影響を受けます.特に,重度な運動麻痺を有する脳卒中者では,補足運動野を介した皮質脊髄路が運動機能回復に重要であるといわれています.経頭蓋直流電気刺激(tDCS)は、非侵襲的に大脳皮質活動を高める方法として用いられていますが,補足運動野へのtDCSが歩行中の皮質脊髄路活動や歩行パフォーマンスへ及ぼす影響は明らかになっていません.畿央大学大学院博士後期課程の蓮井 成仁 氏 (宝塚リハビリテーション病院)と森岡 周 教授らは,重度な運動麻痺を有する脳卒中者1名に対して損傷側補足運動野へのtDCSを併用した歩行トレーニングの効果について検証しました.この研究成果は,Brain Sciences誌(Effects of Transcranial Direct Current Stimulation over the Supplementary Motor Area Combined with Walking on the Intramuscular Coherence of the Tibialis Anterior in a Subacute Post-Stroke Patient: A Single-Case Study)に掲載されています.
研究概要
多くの脳卒中者は運動機能が低下し,日常生活動作や移動に対するリハビリテーションを経験します.運動機能の回復は,運動に関連する脳領域(一次運動野および補足運動野)の回復に強く影響を受けます.特に,重度な運動麻痺を有する脳卒中者は,補足運動野を介した皮質脊髄路が運動機能回復に重要であるといわれています.経頭蓋直流電気刺激(tDCS)は、非侵襲的に大脳皮質活動を高める方法として用いられています.しかし,多くのtDCSを用いた先行研究が,皮質脊髄路の主な起源である一次運動野を刺激しており,補足運動野へのtDCSが歩行中の皮質脊髄路活動や歩行パフォーマンスへ及ぼす影響は明らかになっていません.畿央大学大学院博士後期課程の蓮井 成仁 さん (宝塚リハビリテーション病院),森岡 周 教授らの研究グループは,歩行トレーニング時に損傷側の補足運動野へのtDCSを1週間併用することで,歩行時の麻痺側下肢で体重支持する際の皮質脊髄路の興奮性と歩行安定性を高めることを明らかにしました.
本研究のポイント
・損傷側の補足運動野へのtDCSを併用した歩行トレーニングは,歩行トレーニングのみと比較して,歩行安定性(歩行周期変動)を改善させました.
・tDCSの併用は,遊脚期ではなく立脚期での皮質脊髄路の興奮性を増大させました.
・一方で,下肢の筋力やバランス能力,歩行速度には強く影響しませんでした.
研究内容
介助なく歩行可能な脳卒中患者1名を対象としました.脳卒中を発症後137日が経過していましたが,Brunnstrom recovery stage ⅡおよびFugl-Meyer Assessmentの下肢シナジー項目 6点であり,重度な運動麻痺を有していました.研究は,ABデザイン(フォローアップ)であり,A期では通常の歩行トレーニングのみを行い,B期では損傷側の補足運動野へのtDCSを併用した歩行トレーニングをそれぞれ1週間実施しました.フォローアップ期間は2週間実施しました.歩行評価は,歩行パフォーマンス(歩行速度および歩行周期変動),前脛骨筋の筋活動および筋内コヒーレンス(β帯域;皮質脊髄路の興奮性を反映)としました(図1).
図1. 脳卒中後のタイムラインと介入プロトコル
B期においてtDCSを併用した歩行トレーニングを実施しました.tDCSによる介入(B期)は144日目から151日目に実施されました.
研究の結果,歩行速度の変化はA期ならびにB期ともに0.03m/sであり,歩行周期変動(低値ほど良い)の変化はA期で0.66%、B期で–2.23%となっていました.したがって,tDCSを併用した歩行トレーニングは,歩行速度より歩行の安定性に影響を与えていました.遊脚期におけるコヒーレンス値は,A期およびB期,フォローアップとの間に明らかな変化は見られませんでした(図2).特に,B期の開始時(0.66(×10-3))は,A期(0.36(×10-3))に比べて増加しましたが,B相の終了時(–0.30(×10-3))とフォローアップ(–0.90(×10-3);図2)には減少していました.この結果は,tDCSを用いて補足運動野の興奮性を高めても,遊脚期における前脛骨筋への皮質脊髄路の興奮性にはほとんど影響しないことが考えられました.
図2. 歩行時の前脛骨筋の筋活動と筋内コヒーレンス値の時系列推移
左からA期の開始と終了,B期の開始と終了,フォローアップの順で示しています.上から縦軸は前脛骨筋の筋活動(近位および遠位部),踵接地前の300 msでのコヒーレンス値(遊脚期),および踵接地後の300 msでのコヒーレンス値(立脚期)を示しています.横軸は歩行周期(%)と周波数(Hz)を示します.
一方で,立脚期におけるコヒーレンス値は,B期においてA期やフォローアップと比較して明らかな変化を認めました(図2,3A).特に,B期(0.009ならびに0.024)は,A期(-0.005)に比べて明らかに増加しました.フォローアップは,B期と比較して減少していました(-0.044)(図2,3B).この結果は,補足運動野の興奮性を高めることは,立脚期における前脛骨筋への皮質脊髄路の興奮性に影響を与えることを示しました.
図3.立脚期におけるコヒーレンス値
A期とB期,フォローアップにおける筋内コヒーレンスの時系列推移(A)と各時期の変化量(B)を示しています.トレンド除去は,時間推移に伴う自然回復の影響を取り除く目的で実施しました.
本研究の臨床的意義および今後の展開
この研究では,重度な運動麻痺を有する脳卒中者を対象に,補足運動野へのtDCSを併用した歩行トレーニングが,歩行時の皮質脊髄路の興奮性ならびに歩行パフォーマンスに及ぼす影響について検証しました.結果として,tDCSの併用は麻痺側立脚期における皮質脊髄路の興奮性と歩行安定性を改善することがわかりました.今後は多くの症例を対象に,運動麻痺の重症度に合わせて運動関連領野(一次運動野ならびに補足運動野)の活動を選択的に増大させることがどの歩行パフォーマンスに影響を及ぼすのかについて検証していく必要があります.
論文情報
著者名:Naruhito Hasui, Naomichi Mizuta, Junji Taguchi, Tomoki Nakatani, Shu Morioka.
掲載誌:Brain Sciences. 2022
詳細▶︎https://www.kio.ac.jp/nrc/2022/05/09/press-2/
注)プレスリリースで紹介している論文の多くは、単に論文による最新の実験や分析等の成果報告に過ぎません。論文で報告された新たな知見が社会へ実装されるには、多くの場合、さらに研究や実証を進める必要があります。最新の研究成果の利用に際しては、専門家の指導を受けるなど十分配慮するようにしてください。