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患者に寄り添いすぎていませんか
担当の患者さんが、泣きながら話し始めた。
リハビリ中、ふとした拍子に「もう歩けないかもしれない」と。家族には言えない不安。これからの生活への恐怖。その言葉を、あなたは黙って聞いていた。
帰り道、なぜか自分まで重い気持ちになっている。
翌日も、別の患者さんから辛い話を聞いた。退院後の生活が不安だと。経済的な心配もあると。あなたはまた、しっかり受け止めた。
そんな日々が続くうちに、気づいたことがある。以前ほど患者さんの話に集中できなくなっている。共感しようとしても、どこか心にフィルターがかかっている感覚。
「冷たくなったのかな」と思った。でも、それは違うかもしれません。
優しい人ほど陥りやすい状態があります。患者の苦しみに寄り添い続けた結果、自分自身が消耗していく。研究者はこれを「コンパッション・ファティーグ(共感疲労)」と呼んでいます。
以前、POSTではモラルインジュリーについて紹介しました。システムとの葛藤から生じる傷。今回は、それとは別の角度から療法士の消耗を考えます。患者との関わりそのものから生じる疲弊についてです。
コンパッション・ファティーグとは何か
コンパッション・ファティーグは、1990年代に看護研究者によって提唱され、その後Charles Figleyによって概念が発展しました。もともとは救急医療や災害支援の現場で注目された概念です。
定義はこうです。「苦しんでいる人をケアし、その痛みを和らげたいと願うことから生じる身体的・精神的・情動的な疲弊」。
特徴的なのは、これが「ケアすること」そのものから生じる点です。患者のトラウマや苦痛に繰り返し曝露されることで、援助者自身がトラウマに似た症状を呈するようになります。
バーンアウト、モラルインジュリーとの違い
似た概念が複数あるので、整理しておきます。
バーンアウト(燃え尽き症候群)
原因:慢性的な職場ストレス、業務過多
主な症状:疲弊、シニシズム、達成感の低下
発症:徐々に進行する
モラルインジュリー
原因:自分の価値観に反する行為への加担・目撃
主な症状:罪悪感、恥、怒り、裏切られた感覚
発症:特定の出来事をきっかけに
コンパッション・ファティーグ(共感疲労)
原因:患者の苦痛への共感的関与の蓄積
主な症状:共感能力の低下、情動麻痺、過覚醒
発症:急性に起こりうる
重要なのは、これらが相互に排他的ではない点です。研究では、コンパッション・ファティーグとバーンアウトには中程度の相関があり、複数を同時に経験している人も少なくありません。しかし、原因が異なるため、対処法も異なります。
コンパッション・ファティーグの構成要素
Figleyの理論では、コンパッション・ファティーグは二つの要素から構成されます。
二次的外傷性ストレス(Secondary Traumatic Stress)
患者のトラウマ体験に曝露されることで、援助者自身がPTSD様の症状を呈する状態。侵入的思考、回避、過覚醒などが特徴。急性に発症しうる。
バーンアウト
慢性的な職場ストレスによる消耗。徐々に進行し、情緒的疲弊、脱人格化、個人的達成感の低下として現れる。
つまり、コンパッション・ファティーグは「患者のトラウマに由来する急性の傷つき」と「慢性的な消耗」の両方を含む概念です。
数字で見る実態
コンパッション・ファティーグは、どの程度広がっているのでしょうか。
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理学療法士のバーンアウトメタ分析
8%(全体)
32研究・5,984名のPTを分析。情動的疲弊は27%、脱人格化は23%、達成感低下は25%
注目:発展途上国でより高い傾向
Physiotherapy, 2024
医療従事者全体のCF系統的レビュー
7.3〜40%
救急医療で7.3〜40%、看護師で21.6〜44.8%、腫瘍科で75.96%
注目:領域により大きな差
PMC, 2016
心理的介入の効果メタ分析
SMD -0.95
11件のRCTを分析。心理的介入はCFの軽減に有効(95%CI: -1.63〜-0.27)
注目:オンライン介入で効果大
J Occup Health, 2024
高罹患率病棟のPT横断研究
リスク上昇
ICUや重症患者担当領域で報告あり。医療者一般では腫瘍科・緩和ケアでも高い
注目:PT限定データは限定的
PMC, 2023
理学療法士に限定したコンパッション・ファティーグの大規模研究は、まだ十分ではありません。しかし2025年にSpringerから出版された書籍では、PTにおけるコンパッション・ファティーグの有病率と影響についてまとめられており、研究関心が高まっていることがうかがえます。
経験年数とリスクの関係
一部の研究では、経験年数が短い若手の方がコンパッション・ファティーグのリスクが高い可能性が示唆されています。ただし、理学療法士を対象とした系統的レビューでは、年齢・経験年数とリスクの関連は一貫していません。
若手にリスクがあるとすれば、考えられる理由はいくつかあります。感情的な距離の取り方をまだ学んでいない。患者の苦痛を「自分のこと」のように感じてしまいやすい。また、対処スキルが未発達で、辛い体験を消化する術を持っていないなどです。
もっとも、これは「冷たくなれ」という意味ではありません。適切な境界を保ちながら共感する技術は、経験とともに身につくものです。若手の頃に苦しいと感じるのは、むしろ自然なことかもしれません。
なぜ療法士に起きやすいのか
コンパッション・ファティーグが療法士に起きやすい背景には、職業特有の要因があります。






