理学療法士はその人の人生や思い出に触れられる
——— その当時、誰も踏み込んでいなかった高齢者医療に没頭できたのは、なぜですか?
宮森先生:誰もやっていなかったというのが、逆に魅力でした。あの頃は、この分野に足を踏み入れても、みんな途中で辞めてしまいました。
一人職場だったり、スタッフや家族との関係、認知症のことなどいろいろとやりにくさもあったと思うんですが、「お年寄りはしなければならないことがたくさんある」と思っていましたね。
今でも、就職して数年で辞めてしまう人がどの分野でもいますよね。理由は色々あるとは思うんですが、少し寂しい。
就職して2~3年で辞めてしまうのは、仕事の面白さを感じる前に辞めてしまう感じがします。
「面白さ」というのは、人に指示され働いている間は面白くないんです。自分で考えて、疑問が浮かんで、解決策を探るようになってくると面白いんだけれどね。
私たちの仕事は、お相手する方とのふれあいから得る経験がお金には変えがたいものになってきますよね。
お年寄りから教えてもらったことがたくさんありますよ。
明治時代の子供たちの暮らしとか、今では考えられないこともたくさん話してくれました。それは「理学療法士の仕事」という関わりを通して、その人の人生や思い出に触れられるんです。それがすごく面白かった。
「先の戦争で兄を亡くして」って言うので聞いてみたら日露戦争だし、乃木大将が歩いているのを見たときのお話なんか聞くと感激しましたよ。
正直、私も学校に入るとき、理学療法士のなんたるかは全く知りませんでした。
解剖生理の授業を受けたときには「学校を間違えた」と思いましたしね。24歳になってから学校に入ったので、家族からも「これからでは遅すぎる」と言われましたし、老人ホームから設計事務所に入る時もそうでした。
「辞めとけ」というのが世間の常識です。
建築のことを知らない人が「理学療法士が設計事務所に入ってどうするの?」というのが一般的ですよね。
でも、誰もやっていないことをするのは面白いことなんです。
特養から設計事務所に転職した理由
———先生は設計事務所にも入られていたんですか?
宮森先生:特別養護老人ホームの次の職場でした。
施設で仕事をしていた時に特別養護老人ホームの研究委員会があって、他の施設の施設長さんから推薦されて委員にしてもらいました。
私は勤めていた特別養護老人ホームの設計に不満がたくさんありました。
建物の作り方によって利用者の自立にも不便が多いですし、スタッフの仕事が増えてしまうこともたくさんありますよね。
私なりに施設で考えていたことを話していたら、その研究委員会の事務局をしていた設計事務所の人から「良かったら、うちに来ませんか」と声をかけてくれたんです。
そこで、10年以上お世話になった施設長に何とかお願いしてホームを辞めて、設計事務所の研究員になって働くことにしたんです。
今振り返ると、およそ10年間ずつ特別養護老人ホーム、設計事務所、施設開設の仕事をして、お世話すること・計画すること・経営することを順番にやってみました。
きっかけを作ってくれた人との出会いはまったくの偶然ですね。
出会った人の仕事に惹かれることがあればチャレンジしてみるのも良いんじゃないですか。
多少違ったことがあってもそれが経験になりますからね。誰も手をつけていないことをやると思わぬ発見があるんですよ。偶然のような出会いを楽しめれば面白くなります。
建築・設計に理学療法士の視点を応用する
——— 就職ランキングをみると、上位に公務員が増えてきたみたいですね。安定志向の人が多い印象を受けます。
宮森先生:長い目で見れば世の中っていうのは実は不安定だよね。安定は一時的なもので、実際には不安定なことのほうが多いと思うよ。だけど、瞬間的にでも気分が高揚するとそんなこと忘れてしまう。
設計事務所や施設の開設準備のときもそうでしたが、気分が高揚している時っていうのは、振り返ってみると仕事に追われてまくっていつも不安定だった感じがします。
時間が無いと、苦しいとか切ない気分になることもありましたね。相手から怒られることもありますし、励ましてくれる人がいないこともあります。
どんな職業でも、みんなと仲良くやれるわけじゃないですよね。でも、与えられた仕事に対して自分なりに頑張ったと思うアンサーが出せれば、そんなことも忘れて次のチャレンジができますよ。
今は、理学療法士という専門的な知識を活かして出来ることがたくさんありますよね。それは医療的なことだけじゃなく、プラスアルファで応用していける分野がたくさんあると思うんです。商品開発や建物の設計も同じですよ。
建築士の人が考えた図面に対して意見しても、最初お前は何者だと思われますよね。
建築の勉強なんか何もしていないんですから。でも、障害のことやそこに住まれるお年寄りたちの生活のことは多少知っていましたから、現場のことを何とか伝えようと思って話しをしていました。
そのうち出来上がった建物の評判が良かったり、作品が雑誌に載るようになったりして、徐々に認めてもらえるようになっていきました。
事務所の社長から「特級建築士」と言われて、からかわれましたけどね。(笑)
理学療法の学校しか出ていなかったので始めた頃は大変ですが、10年くらい続けると、その地域の土地柄やそこに住んでいる人たちのことを考えて一番良いものを提供しようと考えるようになります。
仕事はキツイけれどとても楽しかったですね。
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- *目次
- 【第1回】映画会社から理学療法士の道へ
- 【第2回】特養から設計事務所に転職した理由
- 【第3回】東京ディズニーランドを学校教育に(※明日配信)
- 【第4回】ドイツで感じた“物に対する考え方”の違い
宮森 達夫先生経歴
1980年 専修学校 社会医学技術学院 理学療法学科 卒業
1980年 理学療法士免許
1977年3月~1990年3月 社会福祉法人博仁会
特別養護老人ホーム なぎさ和楽苑及びケアセンター勤務
1990年3月~1998年3月 株式会社 福祉開発研究所(一級建築士事務所)
企画部 室長 ~ 研究調査部 部長
1998年4月~2000年11月 独立し、有限会社福祉計画を営む
2000年12月~2004年3月 社会福祉法人 ウエルス東京
特別養護老人ホーム ウエル江戸川 施設長
2004年4月 日立製作所グループ 株式会社日京クリエイト 入社
2004年9月 日立製作所グループ 有料老人ホーム サンクリエ本郷 副支配人
*2015年 (株)日立ビルシステムから(株)リゾートトラストに買収
2011年8月 定年退職
2012年1月 学校法人アゼリー学園 入職
2013年4月 東京リハビリテーション専門学校 学校長 現在に至る
【著書(共著)】
他多数。