「独立しておけばよかった」って後悔して死にたくなかった。
昭和大学藤が丘病院を出て行ったのは、自分の腕だけでどれだけ患者さんが呼べるのかってことが目的だったり、今の医療制度は、自分の力を十分に発揮できるという環境ではないだろうと。だから自分ではじめたんだよ。鍼灸師の資格もあったしね。
それを使って独立開業っていうのをやったって感じですね。でもとにかく患者さんのために少しでも役に立てて、なおかつ自分の腕を試せる環境の中でやってるということです。
今の医療制度の中では時間がある程度決められたり、病院にある制約の中で動いているから自分の思うことができない。で、その中でもやっぱり一番は一日にみる患者さんの人数制限がなかったってことで、一日50、60人みていたし、一日新患を5〜10人みていた。
それじゃ、自分がそんな環境の中で患者さんのために一人一人を十分にみるって事ができないから独立してやった方がいいのかなと。今は一人の患者さんが新患で来れば大体一時間半には終わりますよ。
その日だけで、評価してインソール削って、セルフエクササイズまで終わりにする。大体は一回の調整で終わるから定期的に来てもらうってことはほとんどないですね。
最初は自分でやってみて、ダメだったら病院にかえろうという意識はあったんだよ。自分が「一人でやりたい」って思ったことをやらないで、死ぬときに「あー、一人でやりたかったな。」って思って死にたくなかった。
とにかくやってダメだったら納得するし、やって良かったら自分の腕のおかげだし、ダメなら自分がダメだし、というだけのこと。ただ一人でここまでやってこられたから“幸せ”ですよ。
一日一日、ひとりひとり一生懸命みた積み重ねが今
56歳になって今のことがいっぺんに出来る様になった訳じゃないし、一日一日一生懸命患者さんをみて、ひとりひとり一生懸命みた積み重ねだからね。その積み重ねが今の経験になって、50過ぎた頃ですかね自分がホントに対応出来るようになったなって思ったのは。
それまではかなりもがき苦しんで、20代の頃なんかは何も分からなかったですよ。ただひたすら経験をつんで、一生懸命考えて、考えてるけどやっぱり結果が出ないし。ただやってないと、想いが強くないと、何とかしたいって気持ちがなければ、途中でストップしてたかもね。
やっぱりそれを想い続けることが出来たって事が大きいですね。でも当たり前のことをやってるだけだし、我々の仕事はそういう仕事だからね。仕事に誇りを持つ、ってことが大事。
けっきょく意識ですよ、大切なのは。勉強会に出たからいいとかそういうことじゃなしに。だって一週間のうちに5日とか働いていてほとんど職場にいるわけで、病院の中で患者さんをみているということがホントに勉強になることなんですよ。
結果をみるためには臨床しかない。勉強で得た知識ってのはただの知識なんだよ。臨床ってのは、患者に対してどう対応するかってことだから、知識をどう“知恵”にもってこれるかってことなんですよね。知識と知恵ってのはまるっきり違う事で、創意工夫があるって事。
だからそれを臨床の中でやっていきけばいいし、本を読んだり、たまに勉強会に行くだけでも十分にそういうことはできるって思うんですよね。
私の今がいいのか悪いのか分からないけども、自分は一生懸命やってきた。だから自分の中で有名になりたいとかっていう気持ちはほとんどなかった、ただやっぱり目の前の患者さんをよくしたいし、自分が頭で思い描いたように患者さんをよくするって事が私の理想なんです。
それがだんだん出来る様になってきた。今でもゴールじゃないし、今でも分からないことはいっぱいあるけどもそうやって進んでいこうと思ってます。
どんな時代も腕があれば食えますよ
とにかく若手の人は、自分の仕事を好きになるって事ですよ。自分の天職だって気持ちがなければ絶対伸びない。ほれこまないと絶対に無理。好きになることを(自分自身に)思い込ませないと絶対におもしろくないし、グチがでる。理学療法っていう学問の上成り立つ医療は、他の職種にはないと思ってます。
お医者さんにもできないし、柔道整復師にも、たぶん鍼灸師にも出来ない独特な専門分野だと。解剖学、運動学、生理学をベースにした治療って言うのはやっぱり他の分野にはないと思っています。それを応用して、知恵をしぼれば非常に結果ってのは出やすい。知識技術って習えば出来るし、頭は使わないんだよね、覚えるだけだから。
給料が安いって事に関してはもう少し協会に頑張ってもらうしかないね。1つの独立って言う部分をどう考えていくのか、自由度が出てこないと多分若い人たちはストレスがたまってモヤモヤする。でも今は個人でやる人がホントに増えてきているし、その人達が、金銭的にも豊かになってくればやっぱり夢になる。
柔道整復師の人たちを何人か知っていて、「10年は病院で修行しようと思います。」っていうけど、でも10年経ったら独立出来るって言う事があるから、今は安い給料でも出来るんですよ。ただ1つ言えることは、「どんな時代が来ても腕があれば食えますよ」ということ。それは患者さんがほっとかないです。
学生の皆さんへ
学生っていうのは、実習でもなんでもだけど「誰に会うか」が、その学生にとってものすごく大きいことだと思います。誰をみたか、誰に会えたか。やっぱりボクらの学生のころも実習に行くと一生懸命にやっている人がバイザーで、ホントに一生懸命やってた。
それをみてるんだよね。で、昭和(病院)の時にボクがバイザーで、学生だった子とかがいってくれるんだよね「先生がいてくれたから僕らはがんばれた」って。だから誰がバイザーになって誰に出会えたかってことがめちゃくちゃ大きいことだよね。
ただ、バイザーによって差がありすぎるのは、それはしょうがないよね(笑)。でも、難しいのよ。学校が増えて実習地ってのも選択出来ないし。だから学生の実習なんかは、そんなに勉強させる場所ではなく、背中を見せる場所でいんだよね。
「背中を見せられて魅せられる」と。少ないけど(笑)。でも若いバイザーでも一生懸命やってる姿を見せれば感じるものもあるからね。そのために私は、病院に勤めている若い人たちの意識が一番大事だって思いますよ。ゲロ吐くほどがんばれって。
とにかく20代の人は経験を積むことですよ。私に言わせれば赤ん坊です。5年とか8年とか10年とかみんな赤ん坊です。俺もそうだったから。経験を積んで30代になってからですよ。そこからが勝負。20代は患者さんが多くて「忙しい忙しい。」っていってるくらいが一番幸せですよ。
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入谷誠先生経歴
1979年 都立府中リハビリテーション学院 卒業
1979年 昭和大学藤が丘病院 勤務
1990年 昭和大学藤が丘リハビリテーション病院 勤務
1997年 同院 退職
1998年 足と歩きの研究所 開設
解剖学、運動学を基に個々の歩行・走行を観察し、その人に合った足底板(インソール)を製作、身体全体のバランスを整える足底板療法で多くのトップアスリートから信頼を得ている。 研究所には、野球選手やJリーガーの他、バレーボール、陸上、スケートなどの各種目の著名選手が訪れている。
◆著書
「理学療法ハンドブック」「ザ歩行」「装具療法」「アスレティックリハビリテーションマニュアル」「フットファンクション」「スポーツ障害の理学療法」「スポーツ外傷学」など多数。