「ゴール設定」の落とし穴
曖昧なゴール設定は効果のない漫然としたリハビリテーションを誘発すると考えている。
生活期・低ADL・寝たきりの方をどのように捉えて、リハビリテーション=全人間的復権を目指していくのか?
これは、現在の私たちの社会環境と20年前の社会環境との違いが私たちの関わり方の混迷に深く影を落としていると僕は考えている。
医学モデルでの関わりが限界に近い人が増加してきた。そうだ、団塊の世代の前期高齢者が徐々に後期高齢者にシフトし始めている。
単独疾患で、元気な人が脳卒中になって、入院するのではなく、高齢の方が2回目・3回目の何らかの受傷によって入院され、そして地域に帰るのだ。
正直に言うと、理学療法士等の学校教育を否定するつもりはないが、カリキュラムの中において、生活モデルの捉え方を十分に時間数を取っているかと考えたら、YESと言い切れる人は少ないだろう。
しょうがないことだと、思っているけど、現場に出て、途方にくれる。
この人になにしたらいいねん……。
だってそうでしょ? 82歳、女性、透析を週3回10年やって、脳卒中を2回繰り返した、大腿骨転子部骨折の人へのアプローチなんて、正解があるのか? と思ってしまう。
医学的な改善がプラトーに達した人でも生活の変化は無限に広がる。
僕たちがクライエントと一緒に真剣になれればの話であるが、両方の真剣さが必要だ、難しいことだと思うけど、やりがいもあるよね。
マラソンにはマラソンの走り方がある
さて、生活期・低ADL・寝たきりの方への関わりにおいて、多くの場合、医学的な観点から改善可能性の低い方と捉えることもできると思う。
では、僕たちの関わりは必要ないのか?
答えはNOだ。僕は改善可能性の低い方こそ、全人間的復権が強力に必要だと思っている。
寝たきりの方の人間らしさとはいったい何か? 答えのない命題であるが、一緒に事例をもとに考えることはできると思っている。
患者さんではなく、生活者としての関わり。
ただ、往々にして生活モデルでの関わりというのは、例えて言うと陸上なら、マラソンに相当すると思っている。
急性期が100m走、回復期が400m走、そして生活期はマラソンなのだ。
ちょっと、しんどいだろうな……と思うのは、医療機関にも関わらず、生活モデルとしての関わりが必要な方がいる場所だ。
そのような、システムベースが医療という枠組みのなかで、生活モデルの考え方を実践するというのは、しんどいことだと思う。
そこに対する答えを僕はもっていない、そこのフィールドで働いている人に一緒に考えようとしか伝えることはできない。
ただ、一緒に考えることはできる。
もう一つしんどいだろうな、と思うのは、ほんとうはマラソンなのに400m走のつもりで走っているようなセラピストがいることだ。
競技が変わっていることに、競技者自身が気が付いていないことがある。
そうなると途中で倒れる可能性すらある。
リハビリテーションと理学療法の分離
生活期において、リハビリテーションを実現するために理学療法などを使う。
ニュアンスとしては伝わるかどうかわからないけど、優秀な訪問看護師さんが一瞬で近所のおばちゃんになってクライエントと関係をつくることに似ているかも知れない。
最初に人間対人間の出会いがあり、そして使える専門性が出てくる。
生活モデルは、長期戦になることも多い。そして何のために関わっているのがみえなくなることも沢山ある。
僕たちは神様でもなく、一流のスーパーセラピストでもなく、ただのしがない、無力な町の理学療法士なのだ。
けれども、無力だけれども町の理学療法士にできることも沢山ある。
リハビリテーションという素晴らしい理念の実現のために、理学療法などを使う。
そういったことを伝える講義をしたいと思う。
(理学療法士・株式会社gene代表取締役 張本 浩平)
セミナー情報
『生活期・低ADL・寝たきりの方のゴール設定 ~リハビリテーション専門職が考えるべきこと~』
主催:株式会社gene http://www.gene-llc.jp/