全く勉強しなかった学生時代
— 先生が理学療法士になったきっかけは?
中島先生 本当は医師になりたったんですよ。小学生のころ、「白血球がバイキンを食べて、身体が元気になる」といった本を読んで、身体の不思議な力に興味をもちました。中学生になると、医学と医師という仕事が繋がり「身体を治す仕事につきたい」と、思ったのがきっかけです。
しかし、多感な時期だったこともあり、高校ではバンド活動に明け暮れ、勉強をしない世界に足を突っ込みました。医学部受験は夢となりました。
ある日、私の叔父が脳卒中で倒れ、高次脳機能障害を患いました。叔父はバイリンガルで英語が堪能でしたが、ブローカー失語があり、英語しか出てこない珍しい状態になりました。英語ができる言語聴覚士にお願いし、英語から日本語に変換するリハビリを受けました。しかし、下肢の障害がどうしても残り、歩くことができませんでした。
ある日、白衣を着たおじさんがきて、叔父を歩かせはじめます。「すげーな、この白衣を着た人は何者だろう」と思いましたね。それが理学療法士という仕事との出会いです。身体もなおせるし、医学にも精通しているし、今の自分には医師よりも資格取得は簡単そうだしと、高校2年生のときに進路を決めました。入学したのは東京衛生学園専門学校で、やはり勉強はたいしてしていませんでした。笑
— あまり勉強してこなかったということですが、実際どのような学生生活を送られたのですか?
中島先生 4年間のカリキュラムを3年間に詰め込むわけです。朝9時半から夜6時半すぎまで月から土。春休みという名の課題レポート、夏休みという名の実験、冬休みという名の試験ですから、休みはほぼありません。
あれだけ集中的に勉強したのは、後にも先にもこの学生時代だけです。一番勉強をしましたし、酒も飲みました。先輩によく誘っていただき、久しぶりに早く下校しても帰り際に「ナカジ」と呼ばれ、結局つられます。笑
先輩とは非常に仲良くさせてもらいました。今の大学と違い、30名程度しかいまいませんから、全学年90名でほぼ顔見知りです。授業の3分の1以上休むとアウトですから、計算して通っていましたね。アルバイトする暇もなく、神奈川県理学療法士奨学金を3年間もらっていました。
暗黒の実習
— 実習はいかがでしたか?
中島先生 うちは3期あって、見学実習が3日を2施設、評価実習が4週を2期、治療実習が7週1期と10週1期です。
見学実習では、昭和大学藤が丘リハビリテーション病院で、山嵜勉先生を筆頭に、インソールを入谷誠先生が、プロ野球選手のリハを山口光國先生が、体幹については柿崎藤泰先生が、福井勉先生が普通に歩いていました。この光景は衝撃的でしたね。みんなそれぞれのことをやっているのに、臨床がパッと終われば、すぐに研究に取り掛かる環境で、チームワークが素晴らしく思えました。
次に他院で行われた評価実習は、暗黒の実習を経験しました。初日から「元気がない!」と始まり、非常に珍しい症例の動作分析もできない、バイザーからの質問にも答えられない状況です。何もかもわからない状況のまま、1週間目には初期レポートを提出しました。そこである理学療法士がレポートで紙飛行機を作りはじめ「このほうが役に立つな」と。あとは、くしゃくしゃに丸められ、投げ返される始末。1週間に1回程度、実習地訪問があり「わからないことばかりで、怒られ続け、辛いです」と、教員に相談しますが「中島に問題がある」と言われるだけ。
その病院には、ある有名な理学療法士が2名いらっしゃっていて、ある1人の先生の理学療法評価の補助をしていました。その先生からは「よく勉強しているな」と褒めていただき、それだけが心の拠り所となっていました。もう1名の先生にも、「レポートを見せてみろ」ということで、見ていただきましたが「よく書けているな」と言っていただき涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。
私は、その数週間で7kgほど痩せていました。「キミは理学療法士に向いていない。やめたら?」と言われ続けたある日の帰り道、なぜか帰りとは反対の駅のホームにいました。あの時、我に返っていなければ今私はここにいないと思います。
最後の週になり、私の状態を見かねた両親からは「やめてもいいよ」と、言われましたが、学費を出してもらっていますし、理学療法士という仕事に就きたかった思いが強かったのだと思います。なんとかやめず、最終日2日前くらいに所属長の先生が来ていました。
バイザーからは「この学生は何もやれず、全然出来ないのでダメなんです」と、その先生に告げると「だったらお前もダメだな」と。
それからその所属長の先生には、カメラの話をしてもらいました。
理学療法士 「カメラって知ってるか?」
中島先生 「はい」
理学療法士 「カメラっていうのは、そのものの真実を写すものだよ。君は君の手で実習の間、たくさんシャッターをきって、真実だけをとった。これからも、君はたくさんシャッターをきるだろう。そこには患者さんの真実がある。その真実を見誤ってはいけないよ」
そんな内容だったと思います。とにかく、私は泣いていてその後のことはあまりよく覚えていません。その時思ったのは、「自分がバイザーになったら、学生に辛い思いはさせたくない」ということ。そして助力になる声掛けをすることでした。
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【目次】
第二回:突然のスカウト
第三回:呼吸ケアサポートチームの結成
第四回:呼吸の専門家がなぜ、栄養・嚥下部門へ?
最終回:持論
中島先生オススメ書籍
中島先生のプロフィール
平成6年 東京衛生学園専門学校リハビリテーション学科 卒業 理学療法士 免許
財団法人 緑成会 緑成会病院 リハビリテーション部 入職
小平市機能訓練指導員、東京都医療技術員非常勤職員
平成12年 専門学校東都リハビリテーション学院 専任講師
目黒区保健所 公害保健事業
呼吸器リハビリテーション 喘息管理コース講師
平成14年 理学療法士・作業療法士・言語聴覚士 養成施設等教員講習会修了
平成16年 一般財団法人同友会 藤沢湘南台病院 リハビリテーション科
神奈川県厚木保健福祉事務所大和センター非常勤職員
平成18年 3学会合同呼吸療法認定士 取得
藤沢湘南台病院 呼吸ケアサポートチームサブリーダー
平成27年 呼吸ケア指導士(初級) 取得
平成28年 藤沢湘南台病院 呼吸ケアサポートチーム チームリーダー
〇所属学会
日本理学療法士協会
日本呼吸ケア・リハビリテーション学会
日本リハビリテーション栄養学会
〇公職
日本理学療法士学会 栄養・嚥下障害理学療法部門 運営幹事
〇研究会
医療と在宅呼吸管理勉強会 副会長
○執筆
・中島 活弥;訪問理学療法士からみた在宅介護者の暮らしと健康 (特集;重度障害児・者を介護する家族の暮らしと健康) 、リハビリテ-ション (403), 12-16,1998-05
・中島活弥,熊切 寛,徳田有美,他:理学療法士などによる 吸引業務に関する院内講習会開催とその評価.呼吸ケア,11:98-103,2013
・中島 活弥:臨床実習サブノート臨床実習のリスク 地雷を踏むな!・4 摂食嚥下障害.理学療法ジャーナル,9:888-895,2016
・中島 活弥、西川 正憲、熊切 寛、他:特集 呼吸器在宅医療のサイエンス地域に根差した呼吸器在宅医療・介護の体制作り―湘南東部医療圈での多職種参加型「医療と在宅呼吸管理勉強会」の目的―、THE LUNGperspectives,25(1),60-65、2017
【専門分野】
呼吸ケア(喀痰等吸引、排痰)、呼吸器リハビリテーション、リハビリテーシ
ョン栄養、栄養・嚥下理学療法