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プロバスケットボールチームのトレーナーとして【レバンガ北海道|相浦 史典】#2

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ー 卒後、就職されたのは整形外科ですが、勤めてからのモチベーションはどうだったのですか?

 

相浦先生 それは問題ありませんでした。まず、就職先を選択する際に、どのようなところで働きたいか考えていました。

 

例えば、スポーツをしている学生がたくさん来ることや、競技レベルが高い選手が来ること、院外活動が可能という事です。勤めた職場が僕の希望とマッチし、就職させていただきました。

 

整形疾患についても深まりましたし、院外活動をするためには、まず院内で頑張る事が大事という事も知り、高いモチベーションにつながりました。

 

ー 就職されてからトレーナーとしてどのような活動をされてきましたか?

 

相浦先生:最初は北海道マラソンや高校野球・サッカー、スキーマラソンなどの様々な活動をしてきました。その後、ある大学の女子バスケットボール部を紹介していただきました。

 

入社1年目からトレーナー活動をさせて頂けたことは、とてもモチベーションを高める事ができた一つですね。

 

ー 現在のレバンガ北海道のトレーナーになるまでにどのような経緯があったのですか?

 

相浦先生:2007年にレバンガ北海道の前身であるレラカムイ北海道というチームが発足しました。北海道のスタッフが選出される時に、私が勤めていた病院から先輩がトレーナーとして派遣されていました。

 

私はその間に女子だけではなく男子バスケットボール部も担当する事になり、経験を積む事ができました。その2年後に、私が派遣されることとなりました。私が何かしたというよりも、運という要素もあり、その職場を選んだからこそ巡ってきたと思っています。

 

ー 相浦先生がトレーナーとして所属してどれくらい経過されていますか? 

 

相浦先生:4年が経過しました。最初は1年だけの依頼でしたが、チームから病院に継続の打診をしていただき、自分が行動してきた事が結果に繋がったと感じています。その反面、さらに責任感が強くなりました。

 

【目次】

第一回:プロバスケットボールチームのトレーナーとして

第二回:知識や技術以外で必要なものは?

プロバスケットボールチームのトレーナーとして【レバンガ北海道|相浦 史典】#2

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