苦労をしたこと
慣れない異国での勉学も就業も、今となっては全てが貴重な経験と思えますし、馴染みのない言語を一から学ばなければならないということで、留学前からその難しさを覚悟はしていましたので、「苦労」を「苦労」とは思わずに過ごしてきました。しかし、渡航から完全帰国、そして現在に至るまで、乗り越えなければならなかった壁は確かにありましたので、そのいくつかを取り上げてみたいと思います。
1) 言葉の壁
ドイツ語は比較的難易度が高い言語と言われていますが、はじめて本格的に学ぶ言葉はとても新鮮で面白く、全く理解ができなかったところから日に日に上達していくコミュニケーション力にやる気は溢れる一方でした。
ところが語学学校を卒業し、ネイティヴな一般学生が揃う養成校に進学すると、そこには全く違う世界が繰り広げられていて戸惑いを隠せませんでした。
語学学校の場合は私も含めた「外国人」の集まりで、講師もクラスメイトも分かりやすいドイツ語で話してくれますが、養成校ではネイティヴにとっても難しい専門的な授業が展開されます。
そしてドイツ語だけでなく、医学的な専門用語はラテン語で覚えなければならず、文献を読む際には英語力が問われるという環境で、同時に三つの外国語を習得しなければなりませんでした。授業も試験も、準備や対策にはかなりの時間を要しました。
2) 就労ビザの壁
外国で働くためには、就労許可を兼ねた滞在許可が必要になります。語学学校や大学へ通うための学生ビザや、二国間の協定に基づくワーキングホリデービザは諸手続きのみでスムーズに取得できますが、就労ビザの取得は外国人なら誰もが直面する大きな問題かと思います。
特に失業者の多い国や地域では難しく、ドイツも例外ではありません。
また、就労ビザの申請は雇用契約を結んでからはじめて申請できるものであり、就職活動の際には「ビザがいつ下りるか分からない、下りるかどうかも分からない」という事実を先方に伝える必要があるため、それでも外国人である私を雇おうとしてくれる職場はそうありませんでした。
3) 免許の壁
ドイツで取得した理学療法士免許と就労ビザにより、ドイツで理学療法士として働くことは可能になりましたが、日本に帰国した際には日本の理学療法士免許が必要になります。
外国で養成課程を修了した者や免許を取得した者は厚生労働省に受験認定や特例認定を申請することができますが、こちらも簡単にはいきません。
日本の養成課程と同等以上の教育を受けていること、日本の養成課程で満たすべき各科目の単位(あるいは時間数)を外国でも取得していることが審査の基準になります。
同じ理学療法士という職業でも、国によってその養成には特色がありますから、内容がぴったり一致しているというわけではないのです。免許認定の前例がある国ならスムーズに許可が下りるかもしれませんが、前例のない国の免許でしたら回答には予想以上の時間を要するでしょう。
今回は3つの事例を取り上げてみましたが、異なる文化、歴史、価値観を持つ海外での生活では小さなことから大きなことまで、様々なギャップに困惑することがあるかもしれません。しかしそれらは全て、日本を飛び出さなければ得ることのできなかった貴重な経験となるでしょう。
岡田瞳先生プロフィール
1982年10月31日生まれ、茨城県出身。筑波大学在学中に女子バスケットボール部に所属しながらスポーツ医学を専攻し、アスレチック=トレーナーの基礎を学ぶ。卒業後は単身ドイツに渡り、フィジオセラピスト(理学療法士)の国家資格を取得。その後アスリートのコンディショニングに特化したスポーツクリニック『スポーツリハ=ベルリン』にてブンデスリーガやナショナルアスリートの治療、リハビリ、トレーニング指導に携り、同時に様々なブンデスリーガ加盟クラブの専属フィジオとしても活動。
2012年、約7年半のドイツ生活に終止符を打ち、2012 FIFA U-20女子ワールドカップをきっかけに帰国。同大会ではFIFAメディカルスタッフの一員として国際レフェリーのコンディショニングをサポートした。
2013年春、厚生労働省より特例認定を受け、日本でも理学療法士の免許を付与される。日本とドイツをメイン拠点とし、複数の競技の海外遠征や国際大会帯同のため世界中を飛び回る。
2014年、株式会社アレナトーレに入社し、さらに活動の幅を広げる。理学療法士、各競技帯同トレーナー、パーソナルトレーナー、養成校講師、講習会講師、通訳などとして国内外で活動。
2016年、医療法人社団 山手クリニックにおいて理学療法士として勤務開始。臨床経験を磨きながら、アスリートの傷害予防やパフォーマンスの向上をはじめとしたコンディショニングの重要性を広く普及させるべく活動中。