沖縄に”こだわる”理由
POSTインタビュアー:なるほど。沖縄に戻られて興味深い、あるいは大阪とは違うなと感じたケースなどはありますか?
照屋先生:沖縄に限ってはまだ立ち上げたばかりでまだ数が少ないですが、こんな事例はありました。
訪問に行くと不在で、やっと連絡が繋がり少し待っていると買い物から帰ってきて、サービスそっちのけで料理を始めて、「今日は食べて行きな」という方がいた。その時はコストを取らずに、キャンセルという形にして、その人のやりたいことを実現させたという関わり方もありましたね。
POSTインタビュアー:文化も違えば、人柄も違うということですね。それを受けてもう少し詳しくお聞きしたいのですが、地元沖縄に「こだわる」理由はなんですか?
照屋先生:僕が沖縄にこだわっているのは、物心ついた時からお年寄りの方々が周りにいて、色んなことを教えてもらって、一緒に生活してきて、可愛がってもらいました。
その方々が苦しい時代を経験し、それ以上に頑張って地域を支えてきてくれました。沖縄は今年戦後70年を迎え、戦争を経験し、その記憶の残る多くの人は75歳以上の後期高齢者となってきている。医療又は介護を必要な年代になってきているということです。
また県外から地元を見た時に最近賑わいがなくなったりしている印象を受けました。それで、人と地域の変化を感じて早く沖縄に帰って、地域のために関わりたいと思いました。
具体的には地域のお年寄り一人がお亡くなりになるということは、街にとって一つ財産がなくなるということ私は思います。その方々の知恵や工夫してきたこと、乗り越えて培ってきたもの全てを考えると、例えば図書館一つくらいの大切な物があるのではないでしょうか。
高齢者の方々に少しでも長く元気で過ごして頂けるようにな取り組みと、街に一つでも多くの図書館が残るような地域活動を沖縄でこれからも関わっていきたい思います。
とりあえずやってみる精神
インタビュアー:自分のキャリアデザインを立てる上で、どのようなことに気をつけているのかを教えてください。
照屋先生:昔から物事を一つ決めて、それが終わるまで取り組むような気質がありました。
それで時間があれば外に出て色んなことが目に入ってきて、全てに興味を持ってやってみて、続くものは続ける、飽きるものはすぐに辞めてしまうという性格でした。
計画通りに行くものと、行かないものがあるのは当然で、でもやる前から失敗することはあまり考えずに、「とりあえずやってみる。」「その中で変化したら柔軟な視点で切り抜けていく。」と考えていますね。
ただそれは、置かれた環境が良かった部分もあり、それを用意してくれた家族であったり職場であったり、地域に感謝しています。
インタビュアー:その考え方は物事を進める上で非常に重要ですよね。
<バックナンバー>
第二弾:沖縄と大阪での関わり方の違い
<最終回に続く(9月28日を予定しております)>
照屋一樹先生経歴
沖縄県沖縄市出身の理学療法士
大阪リハビリテーション専門学校卒業後、みどりヶ丘病院、株式会社メディケア・リハビリ勤務を経て、現在は「株式会社まなざし」代表取締役として訪問看護ステーションを経営している。
<照屋先生の施設紹介がされている「訪問リハビリテーション」>
第5巻第2号2015年6・7月:「整形疾患別の訪問リハビリテーション」キーワード
♯理学療法士 ♯在宅医療
♯訪問リハビリ ♯地域