勉強は嫌い、留年もしたくない
何になるか悩んでいる時に高校の先輩にリハビリが面白いという話を聞いて、学費が無料で倍率が20〜30倍でしたが受けました。だからリハの道を選ぼうというよりはそれ以外の道がなかった感じです。
学生時代は同級生の中で1番再試が多かったんです。留年は嫌でしたが、勉強も嫌でした。再試が9科目あった時は、2日徹夜して2時間寝て、また2日徹夜して、体力だけで9科目なんとか乗り越えました。
理学療法士になって最初は大学病院に勤めたんですが、3年程は楽しかった記憶はありません。勤めていた病院はほとんどの患者さんが手術された患者さんで、当時は3週間ごとに術式とか変わる頻度が多かったので勉強はとにかくしていた記憶があります。
昼食もあまり座って食べた記憶がありません。患者さんがよくなるのは、理学療法士が関わって治るというより、手術によって治る印象でした。
地に足つけたくて、工学の門をたたく
2年目の時に夜間の大学に入学しました。理学療法の養成校に合格した際に実は大学工学部にも合格していて、その想いが残っていたんでしょうね。
試験が厳しくてすぐに留年させる程厳しかったですね。正直、学校は行きたくなかったけど留年もしたくなかった。学校は半分程しか行かなかった気がします。授業のノートをしっかり取る友達から、テストの3週間前にノートを借りてコピーして、電車の中で必死に勉強していましたね。
卒業する時には実は首席でした。同級生は学校にあまり来ていない私が首席だったことに驚いていましたね。
理学療法士になって3・4年目の時に、不安定の中でやっていることを感じました。例えば、看護師さんはそれぞれが全く違う事はやりませんが、理学療法士は人によって違うことをしていますよね。
それを患者さん本人が疑問に思う事もありませんでしたし、その頃は理学療法の基準となるものがありませんでした。学会で人工関節の手術の脱臼例について話を聞いたりしていましたが、脱臼例なんて勤めている病院では全くなくて結局、自分の病院で行われている事しか知らなかったんです。
それで学校へ行ったら工学について学んでいるうち、いくらか理学療法よりは科学的なような気がしていました。人間工学について学んでいましたが、何か重なる部分があって、とにかく両足が地に着ける感じがしたかったんだと思います。
この方法はこれに基づいていると言われていても、なんだか実感がなかったんです。その時は神経生理学的アプローチってボバースやPNFなどがあって、確かに解剖や生理学に基づいているけどどうしても自分がするという気がしなくて。
安定が欲しくて工学やバイオメカニクスを学びたかったんだと思います。中枢班なんてもっと分からいことなのにそれでもリハビリをやっているのは凄いなと思っていた。まだ整形外科の方がはっきりするような気がしていましたね。
*目次
【第一回】道のはじまり
【第二回】二人のライバルと高めあったオリジナリティ
【第三回】海外と比較した日本の理学療法士界事情
【第四回】「自信がない。」若手療法士の不安に対して
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福井勉先生
文京学院大学保健医療技術学部 教授
文京学院大学大学院保健医療科学研究科
スポーツマネジメント研究所 所長
[経歴]
昭和大学藤が丘病院、東京都立医療技術短期大学、昭和大学藤が丘リハビリテーション病院主任、昭和大学医療短期大学助教授,昭和大学保健医療技術学部助教授を経て現在に至る。
昭和大学客員教授,茨城県立医療大学非常勤講師
[著書]
他多数