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ストロングスタイル採用戦略【YOMOYAMA管理人|奥埜博之|生野公貴】

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輪違
今日はよろしくお願いします。まず奥埜(おくの)先生が理学療法士になろうと思ったきっかけっていうのを教えていただいてもよろしいですか?

 

奥埜先生
うっすら記憶があるのは、中学生の時に読んだ小説の中で出てきたことですね。『なんだ、この仕事は?』と思いました。

 

輪違
小説に理学療法士が出てたんですか?

 

奥埜先生
そうなんですよ。「いい仕事だな」と思って調べたら、全国にほとんどいないとわかりました。学校の先生に聞いたら「ナニその仕事」って言われるくらいやったんで健気に「俺この仕事就こう」って感じですかね。

 

輪違
ありがとうございます。生野先生はどんな感じで理学療法士になろうと思ったんですか?

 

生野先生:
言うのも恥ずかしいぐらいなんですけど、親が柔道整復師と鍼灸師で開業しているんですよ。私も別にやりたいこととか特に決まってなかったんで柔道整復師になろうかなって思ったときに親が「理学療法士っていう仕事あるから」という親のレールに乗っかった感じですね。

 

生野先生:
同時に「柔(道)整(復師)もゆくゆくは取らなあかんやろな」と思って夜間に柔整、昼に理学療法の専門学校(行岡リハビリテーション専門学校:現大阪行岡医療大学)に行くつもりだったんですよ。

 

生野先生:
学校の先生に「夜間行きながら昼間部専門学校無理やって」みたいな話になって、ちょっとドタバタして結局理学療法だけっていうことになって入学したって感じですね。

 

奥埜先生
ちょっと私のエピソードの方が若干いい感じちがいます? 笑

 

輪違
実習は当時結構きつかったんですか?

 

奥埜先生
いや〜大変でしたね。途中でバイザーと大喧嘩して切り上げて帰ってきてるんで…。「こんな思いまでして理学療法士になろうと思いません」といって途中で帰ってきたら学校の先生にめっちゃ怒られましたよ。

 

奥埜先生
頭を下げて謝らされて「心入れ替えて頑張るんで」って言って…。すごいブラック病院で有名でしたね。学校の先生が「奥埜はだいぶ強いからいけるやろう」と思って送り込んだら、ちょっと強さが別の方向に働いて喧嘩して帰ってきたみたいな。笑その年度で初めて通った学生なんです。めちゃくちゃ正座してましたよ。リハ室で。

 

生野先生:
どの病院とは言えないですけど、私も過去誰も合格してない病院に行かされましたね。で、唯一生還して帰ってきました 笑

 

輪違
就職する時、何を基準に選んだんですか?

 

奥埜先生
学校の先生が行岡(病院)出身やったから「行岡勉強できるし熱心やからええで」って言われて「そうします」と言って。別に深く考えてなかったです。

 

輪違
就職先は多かったですか?

 

生野先生:
就職先はかなりありましたね。

 

奥埜先生
祝い金付きとかありましたね。

 

輪違
生野先生はどういう基準で決めたんですか?

 

生野先生:
家が奈良やったんですけど、専門学校は大阪で。もう2時間ぐらいかけて行ってたんでもう絶対奈良に就職したかったので、地元でってなった時に「勉強できるとこないですか」って聞いてたら西大和リハビリテーション病院というのが開設されると言う話を聞きました。

 

生野先生:
専門学校に教えに来てくださってた今の畿央大学におる庄本(康治)先生とか高取(克彦)先生っていう先生らがそこの開設準備に入るというのでオープニングスタッフやし、奈良やしで行ったんですよ。たまたまです笑

 

奥埜先生
二人とも若者に「こういう職場はこんなして選びなさい」ってたまに偉そうに言ってるけど、そんな言う権利ないんですよ笑

 

生野先生:
全然行き当たりばったりです笑

 

輪違
生野先生はずっと西大和ですよね。転職の機会はあったんですか?

 

生野先生:
チャンスというか色々な機会はあったんですけど結局そのままいてますね。教員に誘われたり、研究者の道だったり留学にトライしましたが全部ダメやったんで今の病院にそのままおるっていう感じですね笑

 

輪違
奥埜先生は最初はリハビリテーション病院に入ったんですか?

 

奥埜先生
最初は行岡病院でスポーツリハやってたんですよ。別に崇高な理念はなかったのでたまたまですけど。ただ当時はまだチャンスが勝手に転がり込んでくる時代ですよね。いいポジションを取りに行く難易度は今とちょっと違うと思います。

 

奥埜先生
4年目に差し掛かった頃に学会とか色んな勉強会で「僕がやります」とよく発表していたので、それを見ていたリハ医の先生が見ててくれたんですね。

 

奥埜先生
その先生が摂南(摂南総合病院に)で新しく400平米ぐらいのリハ室をつくるという時やったんで、突然先生から電話がかかってきて「一緒にやろう」と言うことだったので、オープニングやし行こうと思って転職したって感じですかね。

 

奥埜先生
まぁでもその頃はよく電話はありまして、20年前くらいにドイツ徒手療法の協会の人からかかってきたこともありましたね。「(勉強)熱心らしいので1年間協会が金出すからドイツ行けませんか?」って言われて笑(徒手療法に)情熱がない状態で1年ドイツはちょっと無理ですって断ったこともありましたね。

 

輪違
どうやって電話番号とか知るんですかね?

 

奥埜先生
病院にかかってるんですよ。抄録集とか紙しかないから発表していて勢いある人をピックアップしてたんやと思います。そういう意味では、今より目立ちやすいかもしれないですね。ちゃんと外に発信していれば。

 

生野先生:
セミナーとか全然なかったですからね。そもそも病院での勉強会とかそんなんでしたもんね。

 

奥埜先生
理学療法学の後ろに協会主催のセミナーだけついてるみたいな。

 

生野先生:
協会主催セミナーとかそれぐらいですもんね。

 

奥埜先生
往復ハガキで申し込むんですよ。

 

輪違
それ聞いたことありますハガキで申し込むって 笑

 

生野先生:
懐かしい懐かしい 笑

 

奥埜先生
輪違さん35(歳)ぐらいですか?

 

輪違
そうですね、今年37になった次は38歳になりますね。

 

奥埜先生
そんな変わんないじゃない 笑

 

生野先生:
そんな変わんないじゃない 笑

 

奥埜先生
いやでもそこの数年で相当違うんですね。

 

輪違
そうですね。すごく変わった感じがしますね。

 

生野先生:
1年目の時だって発表スライドはまだ35mmスライドでしたもんね。あの映写機で映すやつ。

 

奥埜先生
イタリアに認知(神経リハビリテーション)の研修で行ったときOHP(オーバーヘッドプロジェクター)やったんですよ。

 

輪違
当時お二人はどうやって学習をしてたんですか?

 

奥埜先生
私は病院の中でやってましたよね。暑苦しい先輩がだいたい何人かおったんで。

 

生野先生:
幸い病院の先生方が寄せ集めでいい先生ばっかりいて、皆さんめちゃ勉強熱心やったんですよ。朝も英文抄読会をやったり。

 

奥埜先生
あの当時は今と違って英文抄読にすごいパワーいる時代やったので。

 

生野先生:
そうそう。もう辞書引いてネット入れろとかいう時代ちゃいますからね。

 

奥埜先生
そういうのやっている病院がちょっとイケてる感じがありましたよね。20年弱ぐらい前ですね。森岡(周)先生が畿央(大学)に来た時に知り合いで集まって、その当時アメリカで一番新しい英語の本を1章ずつ訳して発表するみたいな勉強会とかがあったんですよ。

 

奥埜先生
飛び込みで行って自分で手をあげて「僕前頭葉を訳します」とか言って、まとめて発表して森岡先生「なかなかえぇやないか」って言われて。そんな感じで勉強していましたね。

 

輪違
今でいう意識高い系ってことですよね 笑

 

奥埜先生
あーもう意識高い系でしたね笑

 

輪違
生野先生はどんな感じで勉強されてたんですか?

 

生野先生:
毎日のように当時の先生方と勉強したり、もうずっと病院におったって感じですね。なんで、ほぼ家に帰ることなく1年365日病院におったりしてました。

 

輪違
今厳しいんですよね?

 

生野先生:
そうですね。病院の方が仕事しやすいというかね。

 

奥埜先生
今の方が難易度がさらに高いですよね。家に帰ったら、Netflixやアマプラ、YouTubeといった娯楽が多すぎるでしょう?

 

奥埜先生
YouTuberとか私たちの時間を取ることを狙ってる人が世の中めちゃめちゃいるじゃないですか。人の時間をもらえばもらうほど自分が儲かるんでね。意志が弱かったら自分で環境を考えなあかんでって私は授業とかでよく言ってます。

 

輪違
ちなみにどんなYouTube見るんですか先生方は。

 

生野先生:
私は今初心者ができるDJのやり方見てますね笑DJを趣味にしようと思って今DJ必死に見てますね。ほんまリスキリングみたいな形でYouTube見ることが多いですね。

 

奥埜先生
私はリスキリングには使ってないな。ウイスキーの動画めっちゃ見てますよ。ウィスキーの勉強めっちゃしてるって感じですね。あとはもうグルメの情報を常にアップデートせなあかんので…。

 

輪違
けど(グルメ情報とか持っていると)話広がりますもんね。

 

奥埜先生
そういうの知ってると「あいつに店選ばしたらいいとこ選んでくるわ」というだけでポジション取れることもあるんでね。

 

輪違
気になっていたんですが、お二人の働いてる摂南と西大和リハは学会とかで名前を聞くんですけど、多分最初からそういう形じゃなかったと思うんですけど、なんか秘伝のタレみたいな教育システムがあるんですか?

 

生野先生:
うちは元々そうやって学術の母体があったんで僕はどっちかというと、自分で作り出したというよりかは前の先生方の教えを踏襲していて、それをさらに廃れないようになんとかブラッシュアップし続けるっていう感じです。だからめっちゃラッキーでしたけどね。

 

輪違
今働いてるスタッフは発表を義務付けられてるとかそういうわけではなくて自主的にやっていく感じなんですか?

 

生野先生:
そうですよ。うちは義務にはしてないですね。促したりしますよ「これ発表してみたら」とか言いますけど、「必ずしなさい」っていうのは別に言ってないですね。ただ1回は発表するようにしてますけど、基本的には自主的にですね。

 

輪違
じゃあ面接とかがいいんですか?そういう優秀というか、やる気のある人が入ってきやすいんですかね?

 

生野先生:
そういうのも広報してますし、ブランド作りというのも一応してますし、熱心に勉強したいという方に来て欲しいですし「やる気のある人しか取りません」って就職説明会でも言いますんで。

 

生野先生:
それ言うたらある年、全然誰も来へんかった時あるんですけどね 笑「うちはやる気のある人しか取らないんで」っていうストロングスタイルで行ってます。

 

奥埜先生
西大和さんほどではないんですけどスタイルはストロングですよね。面接とか見学に来たら「専門職とかプロって言われてる人で自分のプライベートを削ってない人なんか多分おらんと思うんですよ」そう思う人と働きたいと言いますね。そうすると、めちゃくちゃ来ないですよ。8割くらい来ないですよね笑

 

生野先生:
時代にめちゃくちゃ逆行してるけど全然来ない 笑

 

奥埜先生
だからいいと思いますね。たぶん全国で珍しいと思うんですけど、全職員が毎週症例発表をするんですよ順番で。役職者も全員僕も含めて。すっごいしんどいじゃないですか、子育てが忙しいとか色々あるので。

 

奥埜先生
うちはもうそれ前提で入ってるので、そういうトラブルはないですね。8割の凡人は、多少若い頃にさせられてる方が事後的にはメリットが大きいと思うんですよ。あと邪魔しないことですね。

 

奥埜先生
今まで教員になったのが5-6人いますけど、私は大学院とか出てないので、私が指導したとかでなくて、教員とか研究職つくぐらい勢いよく修士・博士にいってるやつの邪魔をしない。だから人が減っちゃうんで、微妙っちゃ微妙なんですけど…。

 

輪違
すごい多いじゃないですか5-6人っていうのは。

 

生野先生:
優秀メンバー輩出してますもんね。

 

奥埜先生
おっさんてね、私たちはすでになってきてるかもしれないけど、邪魔しがちなんですよ。だから意識的に邪魔しないようにせんとね。普通に生きてたら、邪魔になってしまう ね。生野先生言いたなるでしょ余計なこと。

 

生野先生:
そうそう。余計なこと言いたなるんですよ。言うてしまってると思いますけどね笑2人とも笑

続き:優秀な人材が育つシステム

奥埜・生野のリハビリよもやま話サークル

入会▶︎https://www.oiry.online/

<プロフィール>

奥埜 博之 サークル共同管理人 1979年生まれ

広島県立保健福祉短期大学(現県立広島大学)出身

摂南総合病院 リハビリテーション科 科長

川口脳神経外科リハビリクリニック リハビリテーション科 顧問

(その他、いくつかのクリニックの顧問・立ち上げ支援を行っています)

門真市理学療法士会 副会長 大阪府理学療法士会 代議員

認知神経リハビリテーション学会 理事・評議員長

 

生野 公貴

サークル共同管理人 1982年生まれ

行岡リハビリテーション専門学校出身

畿央大学大学院健康科学研究科 博士課程修了

西大和リハビリテーション病院 リハビリテーション部 技師長

畿央大学大学院健康科学研究科 客員研究員

一般社団法人 日本物理療法学会 理事 公益社団法人 

日本理学療法士協会 日本理学療法士学会物理療法部門運営幹事 

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