前回の記事はこちら▷▷ no.1-「理学療法士を目指した理由」
起業するまでに準備したコト
インタビュアー:3年目に起業を考えて準備を2年間色々となさったんですか?
松井先生:そうですね。病院での仕事をおろそかにすることはできないので、職場業務と自己投資の両立の毎日でした。この期間に限られたお金と時間という自己投資をどれだけやるかっていうのを考えていましたし、異業種にどんどん飛び込むと、セラピストの3年目までに得られる世界ってずいぶん狭いなと感じました。セラピストの弱いところは、自分の仕事を人に伝える機会や能力がないことですよね。上にはドクターがいてオーダーが来るので、お客様がいて当たり前。でも“自分がクライアントから選ばれるためにはどうしたらいいか”を起業したいと思ったら必ず次に考えていくわけなので、そういう自分の仕事を相手に売る勉強をしたり営業の勉強をしたりとか、どんどん異業種の方々と話をして、2年間の中で言語力や人をワクワクさせる力を高める時間をできるだけ多く費やしました。
インタビュアー:起業されたのはいくつの時ですか?
松井先生:27歳になってすぐに起業しました。
インタビュアー:その時の周りの反応は?
松井先生:バカじゃないのかって言われましたね。「お金に走った」とも言われました。やっぱりこの世界でやってる人って、お金のとび出る職業じゃないので、本当にやりがいを感じて働いている人が集まっていると思います。だからこそハードルはもちろんありましたし、親や病院のスタッフ、学校の先生達、8割は反対してましたね。ただやりたいと突き進めるうちに、誰もが応援してくれました。
1番感謝しているのは、以前勤務していた病院の院長が後押ししてくださったことですね。今でもアドバイザーとしていてくださっていますし、そういうメンターがいると8割の人たちが見えなくなって、2割の人たちが本当に応援してくれる人だなって思うと、大人の付き合いというか、一歩踏み出したような気がします。
インタビュアー:その方々と出会ったことが大きいですか?
松井先生:そうですね。もちろん出会うべくして出会ったのかもしれないですけど、その方に歩み寄ったことで変わったのかもしれないし、自分からアクションすることで可能性は無限大に広がるんだなということも含めて、起業する人たちに引き寄せられていたのでしょうね。やはり、自分から行動することが何かを生むきっかけに必ずなるのだと実感しました。
インタビュアー:周りの反対を押し切って起業してどうでしたか?不安とかはありましたか?
松井先生:正直、不安はありましたね。ただ私は病院にいることもリスクと考えていて、何もしない事もリスクと考えた時に、前進することがリスクではないんだと自分に言い聞かせていました。金銭的な不安はありますけど、何かに向かって進んでいくってことでそれが楽しみに変わっていく時もありますし、今でも不安なのかもしれないけど、抗体がついていくのかもしれないですね。
⇧病院勤務時代の松井先生(写真前列右から2番目)
スミレ創業秘話・コンセプト
インタビュアー:起業されて、最初にスミレ(光の森リハビリセンター)をつくられたのはいつですか?
松井先生:27歳になって一ヶ月くらいに登記したので、今から約2年半前にこの通所をオープンしました。
インタビュアー:その後、どういうコンセプトでやっていこうと思ったのですか?
松井先生:実はここが私の地元であり通学路なんですよ。この地元を盛り上げていきたいっていうのが私のモチベーションでして、どうにかこの近くでテナントはないか探していました。なので、開業時は商圏マップとか人口調査などのマーケティングをあまりしなかったんですよね。「地元への恩返し」これは私の中で死んでも変わらないモチベーションだなって思います。そこで縁があったのが、このテナントです。 テナント契約にはなるのですが、社会福祉法人と医療法人が1つのハコに存在しており、そこに弊社からリハビリに特化したサービスを備えようと。
以前より介護ケアや療養系のシステムは備わっていましたが、機能回復とか地域にとって入り口が明るい部分がない、特養って暗いイメージがあるので…。その結果、在宅医療の医師も今回一緒に入ってミニ包括システムが出来上がりました。
当然、差別化は運営上必要となるので、以前は少なかった「食事なし・入浴なし」の機能訓練に特化した自立支援型の通所をコンセプトにスタートしました。3つの会社が集結し運営法人は違えど、地域住民の方からすれば『あそこに行けばなんでもあるよね。体のことも相談できる、介護自体の相談も出来る、先生もいる、避難場所にもなる』という、地域住民にとっては全てここに来れば解決できるような多様性のあるフィールド作りをしていきたいという思いで仕事をさせてもらっています。 (続く)
松井 亨先生 プロフィール
熊本県出身理学療法士
●合同会社EMIAS 代表
●地域活性化プロジェクト ジャムカフェ理事
●地域包括ケア推進リーダー
●介護予防推進リーダー
2007年 西日本リハビリテーション学院卒業 理学療法学科 医療法人社団星輝会 松原リウマチ科・整形外科入職
2012年 オーストラリアへ海外留学 帰国後、施設運営コンサルタントとして活動
2013年 合同会社EMIAS設立 光の森リハビリセンターsmile-スミレ- 開設
2015年 光の森リハステーションspito-スピット- 開設
《バックナンバー》
第1回▷▷no.1-「理学療法士を目指した理由」
第3回▷▷no.3-「私の役割〜地域の仲間や社員をワクワクさせること〜」
第4回▷▷no.4-最終回 「プロフェッショナルとは?」
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