
2026年度の診療報酬改定で、回復期リハビリテーション病棟の「リハビリテーション実績指数」の基準が引き上げられます。2回連続で27を下回ると疾患別リハの一部が入院料に包括される従来のラインが、30へ。除外できる患者の割合も3割から2割へ狭まります。成果が一定水準に届かない病棟ほど収益面で締めつけられる仕組みが、一段強まる改定です。回復期リハ病棟は2025年3月時点で全国に約9万7千床。四半世紀をかけて育ったこの「リハをするための病棟」は、なぜここまで“成果”を問われる場になったのか。本特集は制度が生まれる前史までさかのぼります。回復期リハ病棟の25年を、「誰のために、どんな力学で生まれ、何を達成し、何を置き去りにしてきたか」という視点でたどります。
目次
- 1. 25年を1枚で見る──回復期リハ病棟の地形図
- 2. 前史(1973〜1999)──「社会的入院」という宿題
- 3. 誕生(2000年4月)──訓練室から、病棟へ
- 4. 2006年──算定日数上限と、「リハビリ難民」
- 5. 2008〜2014年──数で増え、「質」を問われ始める
- 6. 2016〜2018年──成果主義への転回
- 7. 成果主義の光と影──「選別」をめぐる、決着していない論争
- ★ コラム:米国IRFという鏡
- 8. 2020〜2026年──厳格化の時代、問われ続ける「成果」
- 9. 成果と公平のジレンマ──2028年改定への問い
- 主要出典・参考資料
回復期リハ病棟25年 制度変遷タイムライン(1973-2026)
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高齢者の医療費自己負担を公費で肩代わり。老人医療費の急増と国の財政悪化を背景に、およそ10年後、1982年制定・1983年施行の老人保健法で見直しへ。「長く入院させたほうが経営上有利」とする社会的入院への批判が現れた。
法定の保健事業に「機能訓練」を組み込み、疾病の予防・治療とならんで心身機能の維持を掲げた。機能訓練という名のリハビリ的要素と医療費適正化——回復期リハ病棟が背負う二つの命題が、この時点で制度に芽生えた。
特定機能病院とともに療養型病床群を創設。患者を「高度医療が必要」「一般」「長期入院が必要」に分け、病床を機能で分ける発想が制度化。回復期リハ病棟という「器」の前提。
脳血管疾患・脊髄損傷・大腿骨頸部骨折・廃用症候群などを対象に、寝たきり防止・ADL向上・在宅復帰を目的として新設。「病棟そのものをリハの場にする」発想。創設時の主な基準は専従PT2名以上・OT1名以上医師専従1日6単位まで算定上限180日。
1997年の法改正を経て、症例区分(CMG。障害種別・年齢・併存症・機能状態などで決定。FIMは機能状態の重要な要素)にもとづくPPSを導入。日本より約14年早く「症例区分・重症度に連動した包括支払い」へ踏み込んだ先行例。
脳血管疾患等180日、心大血管150日、運動器150日、呼吸器90日。回復期リハ病棟側も発症から入棟まで3か月→2か月、提供単位6→9単位、算定上限を状態別60〜180日へ細分化。
免疫学者で脳梗塞当事者の多田富雄氏が朝日新聞に寄稿。算定日数上限への反対運動が広がり、同年6月末に44万筆あまりが提出され、最終的に約48万筆規模に。「リハビリ難民」が社会問題に。
通常2年周期の改定を前倒しし、導入1年後に見直し。心臓疾患を除外対象に追加し、改善が見込まれない場合でも継続できるケースを認めた。患者運動が改定を動かした事例。
重症患者を入院時15%以上受け入れ、かつ在宅復帰率60%以上の病棟を入院料1に。重症者をどれだけ引き受け、どれだけ家に帰せたかを入院料に結びつけた。創設時の医師の病棟専従は専任へ緩和。
運動FIM(91点満点)の改善度をもとにした実績指数を導入。2回連続で基準(導入時は27)を下回ると、1日6単位を超えるリハ料が入院料に包括される。改善余地の小さい患者などは3割を上限に除外可能。
「基本部分/実績と体制/実績指数」の3層・6区分へ。リハビリテーション充実加算を廃止し、FIM測定とデータ提出加算を要件化。自院の成績を数値で測り国へ提出する病棟に。
外来の維持期リハが3度の経過措置延長を経て介護保険へ移行完了。全国保険医団体連合会は受け皿不足や機能低下を実態調査で告発し、廃止撤回を要求した(回復期リハ病棟そのものとは別レイヤーの周辺論点)。
令和2年度改定。入院料1の要件は専従PT3名以上・OT2名以上・ST1名以上、実績指数40以上、自宅等退院割合7割以上など、創設時から大きく積み上がった。
令和4年度改定。2018年に6区分化された入院料を1〜5の5区分へ整理。重症患者割合の要件も入院料1・2で4割以上へ引き上げ。
令和6年度改定。各区分の点数を引き上げ(入院料1=2,229点)、社会福祉士配置、GLIM基準による栄養管理などを追加。体制強化加算は廃止。
改善が見られなかった患者の割合まで施設基準で管理すべきかが、2026年度改定に向けて議論の俎上に。クリームスキミング(軽症者の選別)の懸念と表裏一体の論点。
令和8年度改定。2回連続で基準を下回る判定ラインが27→30へ。算出から除外できる患者割合も3割→2割に。「80歳以上」の除外廃止、FIM認知の除外基準も24点以下→14点以下に。規制の対象を広げる厳格化で、本特集の起点となる改定。
出典:本特集記事、『日本医療保険制度史(第3版)』、中医協 総会・検証部会資料、回復期リハビリテーション病棟協会 各種データ、日本作業療法士協会 令和8年度改定要約、CMS/MedPAC ほかから編集部作成
1. 25年を1枚で見る──回復期リハ病棟の地形図
回復期リハ病棟の制度史を、前史から2026年まで縦に並べると、性格の異なる4つの時代が見えてきます。
第1の時代は「前史」です。回復期リハ病棟が生まれる2000年より前、日本の医療は「社会的入院」という宿題を抱えていました。高齢者が、医療というより生活の場として病院に長期入院し続ける。この状態をどう解くかという問いが、1980年代から積み重なっていきます。回復期リハ病棟は、その解決策の一つとして構想されました。
第2の時代は「誕生」です。2000年4月、介護保険制度の施行と同じ月に、回復期リハ病棟入院料が新設されました。脳血管疾患や大腿骨頸部骨折などの患者を対象に、寝たきりを防ぎ、ADL(日常生活動作)を高め、在宅復帰を目指す。リハビリ室で訓練するのではなく、病棟そのものをリハの場にするという発想です。
第3の時代は「葛藤」です。2006年、リハに算定日数の上限が導入されると、「リハビリ難民」という言葉が社会に広がり、大規模な反対運動が起きました。回復期リハ病棟は数を増やしながら、同時に「質をどう測るか」を問われ始めます。
第4の時代が「成果主義」です。2016年、回復期リハ病棟にアウトカム評価(リハビリテーション実績指数)が導入されます。「どれだけリハをやったか」ではなく「どれだけ機能を改善させたか」で収益が変わる時代に入りました。2026年の実績指数の引き上げは、この延長線上にあります。
前史・誕生・葛藤・成果主義。本特集はこの4つの時代を順にたどりながら、回復期リハ病棟が何を達成し、何を未解決のまま抱えているのかを見ていきます。図表1には、1973年の老人医療費無料化から2026年の実績指数引き上げまでを1枚に並べました。
2. 前史(1973〜1999)──「社会的入院」という宿題
回復期リハ病棟がなぜ必要とされたのかを理解するには、2000年より四半世紀ほど前にさかのぼる必要があります。出発点は、高齢者医療をめぐる一つの政策的失敗の記憶です。
1973年(昭和48年)1月、老人医療費の無料化が始まりました。高齢者の医療費の自己負担を公費で肩代わりする制度です。福祉元年の象徴とされたこの制度は、しかしおよそ10年で転換点を迎えます。背景にあったのは、国の財政事情の悪化と、老人医療費の急増でした。
このとき問題視されたのが、長期入院のあり方です。『日本医療保険制度史(第3版)』は、当時の批判をこう記録しています。「医療機関の一部に老人医療が無料であるが故に必要以上に投薬や検査を行ったり、長く入院させたほうが経営上有利だからといった理由で必要以上に入院を慢性化させ、あるいは乱診乱療を行なう傾向があるとの批判が現われた」。後に「社会的入院」と呼ばれる問題が、ここで政策の俎上に載りました。
1982年(昭和57年)、老人保健法が制定されます(施行は翌1983年)。老人医療費を各保険者で公平に負担する仕組みであると同時に、この法律には注目すべき要素が組み込まれていました。法定の保健事業に「機能訓練」が組み込まれ、疾病の予防・治療とならんで、高齢者の心身機能の維持を支える発想が制度に書き込まれたのです。機能訓練という名のリハビリテーション的要素と、「医療費の適正化」が、同じ法律のなかに同居していました。後の回復期リハ病棟が背負うことになる二つの命題は、すでにこの時点で制度のなかに芽生えていたと言えます。
次に動いたのは、病床の側です。1985年(昭和60年)と1992年(平成4年)の二度の医療法改正で、医療施設を機能で分ける発想が制度化されていきます。『日本医療保険制度史(第3版)』は第26章で、「医療費の適正化のためには、医療施設の計画的整備や機能分化など医療供給面からの対策も必要であるという認識が高まり」と整理しています。1992年の第二次医療法改正では、特定機能病院とともに「療養型病床群」が創設されました。患者を「高度な医療が必要な人」「一般的な医療の人」「長期入院が必要な人」に分け、それぞれに合う病床を用意する。回復期リハ病棟という「器」の発想は、この機能分化の流れの延長線上にあります。
機能分化を急がせたもう一つの力が、在院日数の長さでした。日本の入院日数は、国際的に見て突出して長い。OECD Health Data 2006によれば、平均在院日数は2004年時点で日本が36.3日。アメリカ6.5日、イギリス7.2日、ドイツ10.4日、フランス13.4日と並べると、その差は際立ちます。人口千人あたりの病床数も、2002年時点で日本は14.3床。ドイツやフランスを大きく上回り、英米とは3倍以上の開きがありました。同書は「入院日数が長く、医療費の効率化と医療の質の向上などの観点から、その短縮は重要な政策課題となった」と記しています。在院日数の短縮は、国の明確な政策目標になっていました。

図表2:平均在院日数の国際比較(2004年)。日本は36.3日で、各国(6〜13日台)から突出していた。病床数は2002年時点で人口千人当たり14.3床、ドイツ・フランスを大きく上回り英米とは3倍超の開き。出典:OECD Health Data 2006(『日本医療保険制度史(第3版)』第28-3表)。
国内にも大きな地域差がありました。『日本医療保険制度史(第3版)』は、平成17年度の全病院平均在院日数について、全国35.7日に対し、最低の長野県は27.3日、最高の高知県は55.4日だったと示しています。老人医療費でも、平成16年度の全国平均は78.0万円でしたが、最多の福岡県は96.5万円、最少の長野県は63.5万円と、1.5倍の差がありました。とくに入院医療費の地域差は1.8倍で、入院外医療費の1.4倍より大きい。つまり医療費適正化は、単に全国平均の在院日数を短くするだけの話ではなく、病床配置や入院医療の地域差をどうならすかという問題でもありました。
そして2000年、介護保険制度が始まります。『日本医療保険制度史(第3版)』は、介護保険を「社会的入院など」の課題を背景に成立した「社会保障構造改革の第一段階」と位置づけています。医療機関に長く入院していた高齢者のうち、医療というより介護・生活支援を必要とする人を、介護保険のサービスへ移す。社会的入院という宿題を、医療と介護の役割分担によって解こうとする設計でした。
ここまでの流れを整理すると、回復期リハ病棟が生まれる前夜の構図が見えてきます。社会的入院を解消したい。在院日数を短くしたい。病床は機能で分けたい。高齢者の生活支援は介護保険へ移したい。これらの政策の力がそろったところに、急性期を出た患者が、まだ家へは戻れない──その「あいだ」を引き受ける病棟が必要になりました。回復期リハ病棟は、こうした複数の政策圧力の交差点に生まれています。
3. 誕生(2000年4月)──訓練室から、病棟へ
回復期リハ病棟は、制度が先にあって作られたというより、現場の実践が先にあって制度を動かした、という色合いが濃い病棟です。その震源地の一つが、高知県の近森リハビリテーション病院でした。
近森病院グループでは1986年以降、付き添い介護を廃し、東京の病院から看護師を集めました。そのうえで「寝る・食べる・排泄する・清潔を保つ」を分けて支える看護システムを導入していきます。寝たきりとされていた患者に、回復の変化が表れ始めます。その実践を専門に担う場として、1989年12月に近森リハビリテーション病院が開院しました。こうした実践を背景に、1995年ごろから全国規模でケーススタディが積み上げられていきます。中心となったのは、同院院長で日本リハビリテーション病院協会副会長だった石川誠氏です。回復期リハ病棟の必要性は、こうして当時の厚生省へ提唱されていきました。
2000年4月、その構想が制度になります。介護保険制度の施行と同じ月の診療報酬改定で、回復期リハビリテーション病棟入院料が新設されました。対象は脳血管疾患、脊髄損傷、大腿骨頸部骨折、廃用症候群など。目的は、寝たきりの防止、ADLの向上、そして在宅復帰です。
この病棟の新しさは、リハの「場所」を病院のなかで組み替えた点にあります。それまでリハは、病棟とは別のリハビリ室へ患者が通って受けるものでした。回復期リハ病棟は、病棟そのものをリハの場と位置づけます。食事や排泄、着替えといった日常生活の動作のすべてを、機能回復の機会として捉え直す。「リハをするための病棟」という発想が、日本の医療制度に初めて組み込まれました。
創設時の主な施設基準は、今の水準から見るとシンプルです。
専従配置:常勤の理学療法士(PT)2名以上、作業療法士(OT)1名以上
医師:専従を要件とする
看護:看護職員15対1
リハ提供:1日6単位まで/算定日数:上限は一律180日
言語聴覚士(ST)の配置や、後年の実績指数のようなアウトカム要件は、まだ存在しません。
注目すべきは、この病棟が「社会的入院の解消」「在院日数の短縮」「病床の機能分化」という前史からの政策の流れを、そのまま体現していたことです。介護保険が高齢者の生活支援を引き受け、急性期病院が在院日数を縮める。そのあいだで、家に帰る準備を集中的に進める場として、回復期リハ病棟は設計されました。前章で見た複数の政策圧力が、一つの病棟の形に結晶したと言えます。
ただし、この時点では誰も気づいていませんでした。「どれだけ家に帰せたか」「どれだけ機能を改善させたか」という“成果”が、やがてこの病棟の収益そのものを左右する時代が来ることを。回復期リハ病棟の25年は、ここから、質をめぐる長い議論へと入っていきます。
●この先の内容
ここまでが「前史と誕生」の通史です。次のセクションからは、2006年の算定日数上限と「リハビリ難民」、病床の急拡大と「質」の評価の始まり、2016年の実績指数=成果主義への転回を追います。そのうえで、本特集の中心となる「選別」をめぐる決着していない論争を、批判と擁護の両側から検証。米国IRFという鏡のコラムを挟み、2026年の厳格化と成果と公平のジレンマへと進みます。
4. 2006年(平成18年)──算定日数上限と、「リハビリ難民」
回復期リハ病棟が生まれて6年。質をめぐる議論に入る前に、リハ点数史でもっとも荒れた改定が訪れます。2006年です。回復期リハ病棟そのものを直接たたく改定ではありませんでしたが、リハ全体に走った衝撃は、回復期リハ病棟のその後の歩みを決定づけました。






