最初のオリンピック帯同
太田先生:そうですね。冬季オリンピックには当時の道士会の先生方が関わられました。日本では、まだ理学療法士は珍しく、逆に海外の方から理学療法士がいればということで要請があったようです。
道内に40数名しか理学療法士がいなかった時代にその半数以上の理学療法士が関わったそうで、物理療法機器の使用やテーピング等の対応をしたと聞いています。
それまでは、競技スポーツに理学療法士が介入していたのはそれほど多くなく、高校生のスポーツ障害の患者さんへの対応やお手伝い程度だったと思います。
実習での失敗談
インタビュアー:今、学生さんからけっこう質問されることの一つに「自分って理学療法士に向いてないんじゃないか」ということがあるのですが、先生はいままで悩んだことはありますか?
太田先生:私の場合は、最初の臨床実習で、初めてまともに患者さんの評価をさせていただいた時ですね。
当時は学生数が少なく、臨床実習では学生にけっこう時間をかけてもらったと思います。それと実技についても手取り足取り教えていただきました。
けっこう準備はして、1つずつ評価していきましたが、途中でアップアップになり、頭が真っ白になってしまったことがありました。
その時は、その前の実習でお世話になった先生に話を聞いてもらって、解決したりしていましたが、実習中の指導者にはなかなか言えませんでしたね。
2期目の実習も終わり、3期目は自分でもけっこう慣れてきたと思っていましたが、指導者から「ダメだなあ」と言われたことを憶えています。
その指導者は、とても簡潔的に評価を行っていました。
「君はあと3カ月も経ったら臨床現場で理学療法士として働くのだから、時間をかけていられないことも考えなければダメだよ」と言っていましたね。
当時は、即戦力が必要な時代でしたからね。1期・2期目では学生のための実習をじっくりと指導してもらって、3期目では最後の仕上げをしていただいた感じでしたね。
とにかく理学療法士が不足していたのでまずは、国立療養所附属の養成校や医療短大などが増えてきました。
その次に、もう少し時間に余裕を持って、考える力を身につける時間を増やすために教養科目を含めた関連のカリキュラムが増えて来ました。それでも学生として学ぶために使える時間は決まっていますので、そこを調整するためには臨床実習の時間を減らして、時間を配分したということですね。
だからこそ卒後教育が大事になるんです。
医学教育は卒業してからが勉強で、一生勉強ですよね。本当は、ライセンスを取った上で、卒後にOJTのトレーニングをしっかりとしないといけないと思います。
資格を取ってからは全部自分で勉強しなければならないというのは大変ですよね。卒後のOJTなどの研修は用意されていますが、看護職のように法制度として、しっかり入れ込まないと十分ではないですよね。
看護師は法律の中で研修を受けなければならないとなっていますから、しっかり研修に参加できますが、我々は自己責任の中で休みを取って研修に参加しています。そのために皆で理学療法士法の改正を強く訴えていかなければなりません。
研修制度も含めて、理学療法士の法律を改正するのは、理学療法士しかいません。ほかの誰もやってくれません。
(インタビュアー:今井、記事編集・写真:山下)
*目次
【第1回】呼吸のトラブルの原因として・・
【第2回】実習での失敗談
【第3回】北海道士会はここが違う!
【第4回】理学療法士のいまと未来
【第5回】地域で活躍するには◯◯を身につけるべし
【第6回】理学療法士と政治
太田 誠先生経歴
経歴:
学校法人日本医療大学 専門学校日本福祉リハビリテーション学院 学院長
公益社団法人 北海道理学療法士会 会長