理学療法士を目指したきっかけ
インタビュアー:達川先生が理学療法士を目指したきっかけを教えて下さい。
達川先生:私は工業高校出身で工業系の仕事がしたいと思っていたのですが、就職先がなかったんですよ。もともと、臨床検査技師に興味があったんですよ。
ですけど、母親の「そういう仕事はいつかオート化してくるよ」という一言で、福井にあるリハビリテーションの学校に入学することになりました。当時リハビリテーションという言葉は、どっちかというと盲導犬の育成とか障害者とかのイメージが強かったですね。
インタビュアー:周りの方々の理解もあまり得られなかったのですか?
達川先生:一番理解してなかったのは自分自身でしたけどね(笑)何の学校かわからないまま入学したので、授業も全然ついていけなくて、何のための授業なのかもわからなかったです。
一年生の時に留年しましたし(苦笑)臨床実習も嫌でしょうがなかったですね。バイザーの先生が言っていることもわからず、モチベーションも上がらず、雨が降ったら行かないという日もありました(笑)
インタビュアー:当時は、臨床実習が多かったのですか?
達川先生:今より長かったですね。一週間くらい長かったと思います。実習中に入院していた患者さんが私の生活を心配してくれていたんですね。
その方は重い病気だったのですが、自分の心配をしなきゃいけないのに私の事を気にかけてくれたのが嬉しかったんですよ。
その時に「そういう人たちを支援する仕事なんだ」と認識するようになりました。
インタビュアー::最初は病院勤務ですか?
達川先生:そうですね。最初は実習でお世話になった病院に一年いました。
そこにいた先輩が、患者さんとちょうどいい距離感で対応されていたのが、すごく勉強になりました。その後、地元の公立病院に14年間いて、10年前に起業しました。
なぜ起業しようと思ったのか?
インタビュアー:その後、なぜ起業しようと思ったのですか?
達川先生:当時、公立病院で働いていて、その当時から「自分の技術を地域に貢献しなければ」という思いがあったんです。
当時の患者さんって交通事故とか労災の40~50歳代の方やスポーツ障害の20歳代の若い患者さんが多かったんですよね。それがだんだん高齢者にシフトしていって、患者さんを「治す」という感覚が通用しなくなっていると思ったんです。
そう思っている時にリハの日数制限ができました。そのため、今まで一年くらい入院していた患者さんを断らないといけなくなってきたんですよ。地域のために頑張ってきたのに、それを断る立場にならなきゃいけないという事にストレスを感じて疲れていましたね。
その時に家族に連れられて悲しそうに退院する患者さんを見かけて、こういう人をどうにかしなきゃいけないのに、こちらは「お大事に」しか言えない。退院後、病院の外で患者さんをサポートしてくれる場所があればという声もいくらかあったんですよね。
そこで、自分がやろうと思って起業しました。
インタビュアー:この間、地方の病院で働いている若い療法士が私を訪ねてきて、「大きな有名な病院を辞めるな」って親に言われたと言っていましたね。
達川先生:私は公務員を辞めることに抵抗はなかったですね。公務員は定年になるまでの生涯賃金が決まっていて「あなたはこれだけのお金しか使えませんよ」って言われてるようでおもしろくないなって思いましたし。
インタビュアー:それから起業しようと思ったのですね。当時の理学療法士の起業はどうだったのですか?
達川先生:当時は珍しかったですね。何人か先に起業していたので、そちらを見学させてもらったりしました。
都会はもうそういうことが始まっているんだと思っていましたけど、今でも多くはないですよね。その中でケアマネージャーの資格は取りました。
次回:「起業とそれから」、来週配信予定です。
(インタビュー:輪違 記事編集:蜷川・林)
達川 仁路先生経歴
【資格】理学療法士、ケアマネジャー
【学歴】
福井医療技術専門学校卒業
【職歴】
平成4年4月より市立敦賀病院リハビリテーション科勤務。
平成17年5月より有限会社リハぷらす設立、現代表取締役
二州介護支援員連絡会会長