【礒脇雄一 先生|理学療法士】徒手療法を学びたくてアメリカへ

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ある患者さんとの出会い

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ーー 先生が、まず理学療法士を知ったのはいつですか?

 

礒脇先生 理学療法を知ったのは高校のときです。

 

 

当時の自分を振り返ると本当に悪ガキで負けず嫌いでした。バレーをやっていて県選抜に選ばれるだったんだけど、半月板を痛めちゃって病院に入院しました。

 

 

オペ後に理学療法を受けるってなったんだけど、そのときは理学療法士に全くなりたいとは思わなかったですね。

 

 

患者サイドとしては痛いし、でも我慢しなきゃいけないし、こんなキツイことを強制する仕事と思っていて、どっちかというとマイナスの印象が強かった。

 

 

ーー そこからなぜ理学療法士になろうと思ったのですか?

 

高校最後の夏休みに先輩の誘いで特養にボランティアにいくことになったんです。

 

 

そのときに初めて介護の現場をみました。自分はある女性の方を担当することになったんですが、イヤイヤ介助してました。オムツ交換や、食事介助だったりをお手伝いさせていただいたんだけど、早く終わらないかなって思っていたのが本音です。

 

 

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その方は、僕がそのボランティアに行った日の1、2週間前にご主人を亡くした方でした。亡くなる前は、毎日その女性のために介助にきてご飯だったりを食べさせたりしていたのですが、そのご主人が亡くなった途端に喋らなくなってしまったそうです。

 

 

だから私が食事介助しても、すごくゆっくりだし、話しかけても会釈ぐらいでほとんどコミュニケーションをとれなかったし、早く介助を終えて自分の休憩時間に入りたいと思っていました。「こういう仕事ってなんの意味があるかな」って正直思いました。

 

 

でもそれから、時間がきて帰るってなったときに、今までいっさい話をしてくれなかったのに僕の手を掴んで「ゆういちくんありがとう」って言ってくれたんです。

 

 

施設の方たちはみんな驚いていました。食事介助もむりやりだったし、嫌な顔しながらオムツ交換もしてたと思うのですが、でもその方に何か通じたんでしょうね。

 

 

ありがとうって言ってくれたってときに「この人の病気をなくしたい」と思いました。それから医療系の仕事を調べて理学療法士の道を進むことにしました。

 

 

徒手療法を学びたくてアメリカへ

 

ーー 先生がリハビリテーションの中で大切にしてることって何かありますか?

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僕の考えるリハビリテーションは「患者さんに我慢してもらうこと」や「頑張らせること」ではありません。

 

目標を達成させるために今やるべきことを考える。「何をやりましょうか、どうしていきましょうか」って。

 

 

痛みがある、筋肉が硬いから曲がらないではなく、痛みがないように曲げるにはどうすればいいか考えるようにしています。

 

 

ドクターから歩行訓練ってオーダーが出されても、痛いなかで荷重させるのではなく、荷重の仕方や徒手療法を使って痛みなく歩行ができる方法を考えます。

 

 

PTになって1年目のときに宮本重徳先生の講習会を受講するために日本全国追っかけていました。

 

 

宮本先生が何を学んできたのか知りたくて当時はカルテンボーンとかメイトランドなどの海外発祥の徒手療法の名前を聞き、次第にそれを海外で…特にアメリカで学びたいと思うようになり、職場が変わるタイミングでアメリカに学びに行きました。

*目次

【第1回】徒手療法を学びたくてアメリカへ

【第2回】運動器の診かたの継承と伝達

 

礒脇 雄一先生経歴

 

溝口整形外科

日本理学療法士協会会員

身体運動学的アプローチ研究会会員

日本徒手理学療法学会会員

日本徒手療法学会会員

【礒脇雄一 先生|理学療法士】徒手療法を学びたくてアメリカへ

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