大阪への移住は、彼女がきっかけ
―― 理学療法士になろうと思ったキッカケは?
白井瑞樹先生(以下:白井) 兄が作業療法士だったのと、母に理学療法士を勧められたので、入学した感じでしたね。
―― 療法士になってからの活動について教えてください。
白井 最初は三重県にある病院で働いていました。そのときに「あの人がオススメする本。」というサイトを運営していました。
それは、病院の所長や部長をされている先生たちが読んでいる本を紹介するものです。Facebookで連絡を取って教えていただいていました。
あとは、「リハビリの自主トレ3D」という個人に合わせたエクササイズを表示してくれるアプリのようなものを作ったり、いくつかの数値を入力するとカロリー摂取量を割り出してくれるものも作りました。
けっこう、いろんな病院が使ってくれていたので、自分の活動が徐々にカタチになってきている感じがありました。
ーー 働き始めてすぐの時から、色々な活動をされていたんですね。
白井 それから、その時に付き合っていた彼女を大阪から三重に呼んで結婚しようと思ったのですが、彼女がなかなか三重県のことを気に入ってもらえず…。
彼女がアメリカ人なので、京都や大阪の文化が好きだったので離れたくなかったんですよね。
最終的には、私が彼女の住む大阪に移ることになりました。
―― そんな過去が…。
3ヶ月の研修を経て便利屋に
白井 大阪に移ってからは、訪問看護ステーションに就職しました。
そこの法人が、「医療施設が公的保険外サービスにも進出してくるというときに、私たちは何でもできなくちゃいけないよね」ということで便利屋を始めることになりました。
3か月くらい泊まり込みで名古屋に行かなくてはならないと妻に告げたときはかなり怒られましたけどね。(苦笑)
―― 3か月間の研修ではどんなことを学んだのですか?
白井 壁の補修を学んだり、エアコンの掃除の仕方を座学や実技もしたり、本当にたくさんのことを学びました。試験もあるのですが、かなり厳しかったです。
―― PTから便利屋という他業界に移るときに、不安とかはありませんでしたか?
白井 それはなかったですね。
その時の便利屋研修は会社が費用を出してくれて、給料も出るということでしたので、もし向いていなかったとしても理学療法の世界に戻って患者さんを診るスキルは持っているつもりでしたので安心していました。
この間ケアマネの試験を受けたんですが、そこには、「患者さんに提供する医療は広く認められているものをしましょう」という文言が書いてある資料がありました。
理学療法士協会のHPにはPICOやEBPTの話、「ある疾患にはこういった治療が、効果を認められているのでまずそれから治療をしていきましょう」という話が書いてあります。
それ以外のものに関しては、ケースバイケースで対応しなくてはいけませんが、ただそれをやることが当たり前で、それができていればどこにいっても通用します。
訪問リハビリに移ったときもその考えは通用したので、そろそろ保険外に挑戦してみようかなと思い、便利屋の世界に足を踏み入れることを決意しました。
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白井瑞樹先生経歴
2010年 理学療法士免許取得
2012年 藤田保健衛生大学大学院修士課程卒業
2014年 NPO法人リハビリコラボレーション設立
2016年 社会福祉法人慶生会ベンリー生野北巽店副店長
社会福祉法人慶生会ベンリー生野北巽店公式サイト