思考が停止しないために
― 研究の内容について教えていただけますでしょうか?
伊藤先生 まず、私の研究の基盤には、臨床実習での苦い経験があります。安易な声がけから、患者さんの信頼やモチベーションを落としてしまったのではないかと。相手に対する褒めかたや、相手に対する好き嫌いなどは、リハの効果にすごく影響するのではないかと思って、この分野の研究を始めました。
最初は、PETを使った研究を行いました。簡単に説明すると、人からの「褒めけなし」や人に対する「好き嫌い」の感情を、脳はどのような処理しているか調べました。もし、担当のOTが患者さんをうまく褒められなかったり、患者さんに嫌われていたら、リハの効果にも影響するんじゃないか、と思ったことがきっかけでした。
― セラピストの中でコミュニケーションが苦手な人がいると思いますが、研究者の立場からアドバイスできることはありますか?
伊藤先生 実践面で私から言えるようなことはありません。私は臨床実習での失敗がすごく生きていて、その時の経験が今の研究に繋がっています。
ですから、失敗経験を忘れないということが大切だと思います。その経験を常に頭の中に残しておくと、次同じような患者さんが来たときに、前よりもちょっと工夫してみる、またはその失敗を研究してみる、ということが出来るかなと思います。
つまり、失敗経験をした後に、思考が停止してしまわないようにすることが大切だということです。例えば、過去の失敗フォルダみたいなものを作り、その中に「ポイッ」と、失敗を入れていくだけではもったいないです。ずっと頭の片隅に置いておくと、失敗の中からすごくいいアイデアが出てくるかもしれません。
最近、コミュニケーションに関連した能力が訓練によって高まることを脳の構造的変化から示した論文が出ていました。脳には可塑性があるので、苦手なことでも克服していけることは、たくさんあると思いますよ。
― 先生が研究員として働くと決めたのはどういった経緯だったんですか?
伊藤先生 日本学術振興会(学振)という国の独立行政法人があるんですけど、博士課程の学生や博士号取得者向けに給料や研究費を出してくれる制度をもっています。博士課程の時に、私はそれをもらえることになって、研究に専念する必要が出てきました。
これをもらっている間は、病院でのアルバイトも出来ません。修士の2年は忙しかったので、臨床で働くことはなく、博士課程からは、そもそも働くことができなかったというわけです。
博士の3年生になった頃には、もう完全に脳科学で研究者になる道を目指していました。やりたい研究が多すぎて、臨床に出る選択肢はなかったです。それで卒業後も研究を続けるために、また学振に応募して採用していただきました。
大学院を卒業してからは「京都大学こころの未来研究センター」に移りました。この時には、「もう一生臨床に出ることはないかな」と思っていたので、自分なりに「なにか作業療法に貢献できないか」と考えて、吉川先生(吉川左紀子センター長)に相談にのってもらったりしました。
吉川先生からは、会の運営の仕方や心構えなどを教えていただいて、そのあと自分が「すごいな」と思っている臨床も研究も頑張っているOTの知り合いに声をかけ、研究会を立ち上げました。ありがたいことに、第一回の学術集会では吉川先生に講演をしていただきました。
― 研究会についてもう少し詳しく教えていただけますか?
伊藤先生 [作業療法神経科学研究会]という名前で、養成校の教員や臨床家、「OTとして働いていないけど免許もっています」みたいな人間8人で2014年に立ち上げました。ちなみに「OTとして働いていないけど免許もっています」みたいな人間は私一人で、他のメンバーは臨床経験のある人ばかりです。会長が埼玉県にいて、副会長が札幌にいます。
ゆくゆくは全国規模にしていきたいですが、今のところは年に一回の学術集会と臨床家向けの研修会を年4回札幌でやっています。MRI画像の読み方をレクチャーした時は、結構人気がありまして、受講していた北大のSTから「ST向けにもやってほしい」と依頼を受けて、そちらの研修会で喋らせていただいたこともあります。
もともと研究会を立ち上げた時のモチベーションは、「臨床家と基礎研究者を結び付けたい」というものです。私個人としては、この研究会の活動を通して、「臨床家は何に困っているのか」知って、臨床家と一緒に何かできることはないか見つけたかったんです。
研究者は臨床家の疑問を研究に結びつけるサポートができるはずですが、臨床家が何を疑問に思っているか、臨床で何が問題になっているか、知る機会が少ないです。この研究会から、彼らをうまく繋げて、お互いの弱点を補填しあう、お互いの強みを活かしあっていく関係が生まれてくるといいなと思っています。
あと、私自身は脳科学や心理学をメインに研究していますが、他の研究者たち、もっといえば分野の違う人たちと一緒に、臨床に貢献できるような研究ができないかなと思っています。そのためには、そういう人たちと出会える環境をまず作らなければならないという思いもありました。
研修会は、臨床で使えることをやっていますが、学術集会はなるべく異分野の方たちに来ていただいて、今後の作業療法の方向性などについて議論をする形にしています。今年7月に開催した学術集会では、リハ医や行政の方を交えて、高次脳機能障害のサポートのあり方について議論しました。
来年6月の学術集会では、京都大学の内田由紀子先生に、社会心理学者からみたコミュニケーションについて、講演していただく予定です。OT以外の職種の方々にも聞いていただきたい内容です。
【目次】
第一回:安易な声がけへの後悔
第二回:研究者への道を歩む
第三回:酸っぱいブドウ
最終回:基礎研究者と臨床家を繋ぐ
伊藤先生オススメ書籍
伊藤文人先生 プロフィール
経歴
2017年8月 – 現在:イギリス ヨーク大学 心理学部 日本学術振興会海外特別研究員
2017年6月 – 現在:北海道大学大学院保健科学研究院 客員研究員
2014年10月 - 2017年7月:東北福祉大学感性福祉研究所 特任講師
2013年4月 - 2014年9月:京都大学こころの未来研究センター 日本学術振興会特別研究員(PD)
2010年4月 - 2013年3月:東北大学 大学院医学系研究科 障害科学専攻博士後期課程 博士(障害科学)
2010年4月 - 2012年3月:東北大学大学院医学系研究科高次機能障害学 日本学術振興会 特別研究員 (グローバルCOE) (DC1)
2008年4月 - 2010年3月:東北大学 大学院医学系研究科 障害科学専攻博士前期課程
2004年4月 - 2008年3月:北海道大学 医学部 保健学科作業療法学専攻
受賞歴
15th European Congress of Psychology Best poster award
東北大学医学系研究科 辛酉優秀学生賞 特別賞
第14回日本ヒト脳機能マッピング学会 若手奨励賞
第13回日本ヒト脳機能マッピング学会 若手奨励賞
作業療法神経科学研究会
ホームページ
https://www.ot-neuroscience.com