1500g以下の子たちを全員診よう
― 針灸の学校に行かれたのは臨床出て何年目の時でしょうか?
三沢先生 臨床2年目の時です。
― その当時はまだ小児の専門という感じではなかった時ですよね?
三沢先生 そうですね。小児に関わり始めた頃です。まもなくNICUの取り組みが始まっていましたが、理学療法士も早期発見·早期治療に関わりたいと考えていました。初めは教授回診についていかせてもらいました。
二分脊椎の子がいて、「この子に何をしてあげたほうがいいですか?」と質問され、答えると「それでは、その子たちに、すぐ訓練をしてあげてください」と言われたことがきっかけになり、NICU内での訓練をするようになりました。
その後、小児科の先生から「1500g以下の子たちを全員診よう」と話があり、毎週木曜日にNICUの子供たちを診ていました。経過を診ているうちに、脳性麻痺を疑われる子供の訓練を始めるようになりました。
― 針灸を学んで何か変化がありましたか?
三沢先生 勉強はしたのですが、先に西洋医学を学んできたこともあってか、漢方に関しては殆ど理解できていません。しかし、マッサージや指圧、針は自分の体や友達の身体を使って実習しますが、その中で体の変化を感じることがあり、勉強になりました。
私が勤めていた頃、禁煙の概念もない時代で、周りにはヘビースモーカーだらけでした。そんな環境で、仕事をしていたせいか1年目の時に喘息が出てしまいました。病院にて喘息専門医の治療を受けていましたが、薬が増えるばかりで、回復のめどがたちませんでした。その当時流行していた「耳の針」にすがる思いで試してみました。
すると20分くらいして、急に呼吸が楽になったんですよね。その後皮内鍼(0.6㎜~1㎜くらいの針)をつけているだけで楽になる実体験をして、原理は分かりませんが「効果があるんだな」実感しました。
理屈はわからないですけど、薬も減らせたんですよね。勝手に減らしたので、本当はだめだったんですが。笑
― 女子医大から横浜市総合リハビリテーションセンターに移られた経緯を教えてください。
三沢先生 2年目から小児担当になってその後10年間ずっと小児の担当をしていました。患者さんが増え、3年くらい経った時に2人体制になり、退職する頃には3人体制になりました。
横浜市総合リハビリテーションセンターの建設が進む中で、「小児が出来る人を探している」という話があり、小児科の医師からの推薦もあって転職することになりました。
当時私は、電車通勤で満員電車の中で通勤していまして、持病のこともあり「体がもたないな」と考え、都内に引っ越すか別の場所に変わるか悩んでいた時期でもありました。
定年後に開業
― リハセンターは小児だけですか?
三沢先生 小児だけでなく成人から老人まで全ての障害のある方を対象としています。
準備室の段階では、「理学療法士·作業療法士は小児も成人もできなくてはいけない」という考えだったのですが、子供は0歳の乳児から学齢児まで人数も多く、疾患も脳性麻痺から神経筋疾患、奇形、骨関節疾患と幅が広く、ローテーションしていくのも難しいということで、私が入った時に、小児部門と成人部門に分けることとなりました。
その後、退職する頃には、中高生から成人期になった障害児者も対象になり、更に整形外科医も加わった治療も広がりました。
7年前に60歳で定年退職し、町田市医師会の訪問看護ステーションに非常勤で勤務しながら訪問マッサージ·鍼も同時に開業しました。
― 開業を考え始めたのはいつ頃からですか?
三沢先生 50過ぎたくらいからかなぁ。重症の人は、着替え、吸引、注入などの機器を抱えて病院やリハビリテーションセンターに通わなければならず、そして1日がかりになってしまうため、ご本人もご家族も大変な思いをされていました。
お母様方から、よくこの様なお話を聞いていました。「東京では小学校に入ると訓練が終了となり、横浜でも中学生以降も継続して訓練を受けられる所が非常に限られています。」、「小学校高学年から中学、高校の年齢は、成長の著しい時期でもあり、変形、拘縮、脱臼などの二次的障害も生じやすい時期であり、予防するために必要な頻度の訓練を受けられるようにしてほしい。」と要望が出ていました。
そして障害児者やご家族が通うのではなく、治療者がご自宅に訪問する方法がとれないかと考えました。訪問看護ステーションは、訪問できる地域が限定されますので、訪問マッサージ·鍼を開業して訪問できる地域を拡げようと考えました。
【目次】
第一回:悪いとわかっても公言できない社会
第二回:先入観が邪魔をする
第三回:教授回診について回る
最終回:PTとしての専門の知識だけではトータル的なケアはできない
三沢先生オススメ書籍
三沢峰茂先生のプロフィール
【出身校】
東京都立府中リハビリテーション学院卒業
京鍼灸柔整専門学校卒業
【職歴】
東京女子医科大学病院
横浜市総合リハビリテーションセンター
町田市医師会訪問看護ステーション
履修研修等
ボバース神経発達学的治療法講習会修了
ボイタ法セラピスト講習会修了
NPO法人日本ボイタ協会インストラクター
日本摂食·嚥下リハビリテーション学会認定士