前回の内容>>PTは「良く」も「悪く」も職人
ターニングポイント
インタビュアー:今9年間の臨床で、「この患者さんはターニングポイントだった。」というようなご経験はありますか?
大郷先生:まずは1人目は、促通反復療法のきっかけを作ってくれた人です。
ブルンストロームステージで上肢4レベルの方で、当時は僕に手技も知識もなかったので、医師に「もうこれ以上良くならないと思う。」と僕が話し、インフォームドコンセントの中で医師から「もう腕は良くならないから。」と説明をその方が受けました。その後のリハで、泣いていたんです。僕が言いましたと言えなくて・・・・
入院中は良くならなかったんですが、1年後くらいに遊びに来てくれました。そしたらステージが5レベル以上になっていて、料理も出来ていたんです。その時に「あなたが自主トレとか考えてくれて、それを頑張ったからここまでなりました。ありがとう。」と言われました。
ありがたい反面、それで良くなっているなら、その前段階で良くしてあげることが出来ただろうと悔やみました。それで、これじゃダメだと思い、良くできるようにすることは医療従事者としてきちんとやらなければいけないなと思い、火がついたのは覚えています。
2人目の方が、軸索型のギランバレー症候群で重度の方です。その方は入院してきた時には頚部のMMT2以下のような状態で、端座位なんて取れない。でも認知はしっかりされているので、入院した時に医師も、「車椅子レベルなんだから、早く家に帰してあげたほうがいい。」と言われました。
一緒に担当した療法士と、文献を調べると良くなる事例もあって、「もう少しやらせてください。」と医師に言いました。
その方は2年くらい入院したが、最終的にはロスフトランド杖で公共交通機関の自立までになり、主婦として料理まで出来るようになりました。
少し出来ることを生活に反映していくということをずっとしていたので、作業療法士としての環境へのアプローチとか自助具を上手に適応させていくというOTの強み、そして諦めないということを学ばせてもらいました。
3人目の方は、ご両親のリハビリを担当していて、その娘さんとの関わりでのことです。
3人暮らしで、お母様がアルツハイマーだった。かなり進んでいたが、娘さんが家に帰してあげたいと強く思っていらっしゃいました。娘さんと病棟側の関係性がギクシャクしてきた時期があって、よく相談に乗っていたんです。
その後、お母様が一度退院したんですが状態悪くなり再入院し、さらにお父様が圧迫骨折で入院し、両親共僕が担当しました。お母様はお亡くなりになってしまい、お父様は退院し、娘さんの家に帰ったが、半年後にお亡くなりになってしまいました。その1年後くらいに娘さんよりお電話を頂いて、「リハビリのお礼がしたい。」ということで家に招いていただきました。
仏壇にお線香あげて、ビーフシチューを出してくれました。その時に、「自分は両親たちにご飯を作ってあげるという役割があって、その両親がいなくなり、台所に立つと、両親のことを思い出してしまい、台所に立てませんでした。でもそれじゃだめだと思い、僕に対してお礼ということで料理をしようと思い、1年ぶりに台所に立つことができました。」と話をされたんです。本人だけでなく、周りも見て、みんなが良くなるような関わり方というのが大事なのかなと思い、そこから家族を含めた関わり方を意識するようになり、視野が広がりましたね。
インタビュアー:臨床経験何年目くらいの時ですか?
大郷先生:3〜5年目くらいのときですね。外部活動の3つの柱
インタビュアー:今は外部の活動をされていると思いますが、どのような活動をされているのですか?
大郷先生:今から2年半前くらいの時ですかね。出会いから、”絆の会”という湘南を盛り上げようという会に参加したんです。熱い人が集まっていて、自分も作業療法士として社会に何か出来ないかなと考えていました。
一つのターニングポイントが、今から1年半前にニュージーランドに行ったことです。内閣府の国際交流事業というのがあって、応募したんです。
海外の障害者の対策とか進んでいる国で、海外の療法士がどんな風に活躍しているのか知りたかったんです。
向こうでの10日間の中で、作業療法士が地域に凄く根ざしていて、障害持った方当事者から「心強いパートナーだ。」と話を聞きました。また病院以外でも働いている多様性があって、それを見たときに、日本でも、もっと勧めていきたいと思いました。日本って医療保険の中だとか狭い中で、発展してきてなかなか外に行かないことがあったので。
ニュージーランドの派遣報告書はご覧になれます。
作業療法士は協会が、”55計画”、「5年で5割のOTを地域へ」という計画を立てていたがなかなか進みませんでした。
第2次55計画になったんですが、もう5・5じゃないですよね。フィールドが開拓出来ていないので、活動する人も少ないわけです。
「作業療法士って誰?」って言われることが多く、認識度が低いんです。だから、もっと知ってもらわなければいけないし、社会に役立てるとアピールしていかないと、いらない職業になってしまうと危機感があったし、社会貢献をしたいということで、「作業療法による健康を考える会」という団体を立ち上げました。
社会貢献をベースに、”作業療法の実践的な能力を高める”、”他職種との交流を深める”、”直接的な社会貢献活動を実践する”という3つの柱でやっています。
大郷先生が大会実行委員長を務める次世代リハサミット2016
詳細はこちら>>http://1post.jp/2016/08/09/reha_2016_summit/
次回はこちら>>作業療法の活躍の場は病院だけじゃない
大郷和成先生経歴
【経歴】
作業療法士
平成18年 茅ヶ崎リハビリテーション専門学校卒業同年 新戸塚病院就職
平成24年 リハビリテーション科 主任(現在は副技士長)
【主な活動】経歴】
促通反復療法 講師
神奈川県作業療法士会 代議員
作業療法による健康を考える会 代表
日本青年国際交流機構 運営委員
平成25年度内閣府青年国際交流事業 ニュージーランド派遣団