順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科の冨田 洋之 准教授、医学研究科放射線診断学の鎌形 康司 准教授、青木 茂樹 教授、脳神経外科学の菅野 秀宣 先任准教授、スポーツ健康科学研究科の和気 秀文 教授、内藤 久士 教授らの共同研究グループはMRIによる脳ネットワークの解析*1により、世界クラスの日本人体操競技選手に特徴的な脳ネットワーク構造があることを明らかにしました。脳MRIデータをもとに体操競技選手と一般人の脳ネットワークを比較したところ、体操競技選手では感覚・運動・注意・情動など体操競技に密接な関わりのある脳の領域を結ぶ構造的な接続*2(神経接続)の強さが一般人に比べて強く、さらに一部の神経接続が競技成績と相関していることがわかりました。本研究の成果は、特定の機能を司る脳部位を結ぶ神経接続の強さが体操競技に重要であることを示すとともに、本研究手法が、体操競技選手における種目適性やトレーニング効果の客観的評価に役立つ可能性を示しています。
本論文はJournal of Neuroscience Research誌オンライン版に2021年7月10日に公開されました。
本研究成果のポイント
- 世界クラスの日本人体操競技選手の脳のネットワーク解析を実施
- 体操競技選手に特徴的な脳ネットワークと競技力に関連する脳神経接続が明らかに
- 体操競技選手における種目適性やトレーニング効果の客観的評価に役立つ可能性
背景
従来のスポーツ科学では優れたアスリートがもつ身体的な特徴、エネルギー供給能力、技の特徴など身体特性に主眼が置かれていました。しかし近年、一流のアスリートの鋭敏な感覚、精密な運動制御能力、的確な状況判断を行う意思決定能力、強い意欲などの優れた脳機能に注目が集まっています。そしてこれらの脳機能は長期にわたる集中的な運動トレーニングによって得られた神経可塑性(脳が学習する仕組み)に基づいていると考えられるようになってきました。研究グループは、2020年に世界クラスの体操競技選手の脳のある領域の体積が一般人に比べ大きく、競技成績に相関することを世界で初めて報告しています※。
本研究では、世界クラスの体操競技選手の高度な運動パフォーマンスを支える神経基盤、特に領域間の神経接続を明らかにすることを目的として、最新の3テスラMRIを用いて体操競技選手の脳を撮像し、得られた画像データを元に脳のネットワーク解析を行い、現役体操競技選手と競技経験がない健常者の脳のネットワークの違いについて比較を行うとともに、競技能力と脳の神経接続の関連について調査を行いました。
※2020年プレスリリース: 世界クラスの体操競技選手の脳の特徴を明らかに
内容
本研究では、世界大会で入賞歴のある現役日本人体操競技選手10名と体操競技経験がない健常者10名の男性を対象として3テスラMRIによる脳の拡散強調像*3を撮像し、脳のネットワーク解析法を用いて、両者の脳の構造的な接続を比較しました。また、競技成績(Dスコア*4)と脳の構造的な接続性との関連についても解析しました。
その結果、体操競技選手群では、対照群に比べて、感覚・運動、デフォルトモード*5、注意、視覚、情動といった体操競技に密接な関わりのある機能を司る脳領域間の神経接続が強くなっていることがわかりました(図1A)。さらに、これらの脳領域間の神経接続のうちいくつかの接続が床運動、平行棒、鉄棒のDスコアと有意な相関関係があることがわかりました。具体的には床運動は空間認識、平衡・姿勢感覚、運動学習などを司る脳領域を結ぶ神経接続と、平行棒は視覚運動知覚、手の知覚を含む感覚運動などを司る脳領域を結ぶ神経接続と、鉄棒のDスコアは視空間認識、エピソード記憶、意識、視野内の物体認識と関連する脳領域を結ぶ神経接続とそれぞれ有意な正相関が見られました(図1B) 。
図1:本研究で明らかになった世界クラスの日本人体操競技選手の脳の特徴
(A)体操競技選手群で、対照群に比べて、強くなっている脳領域間の神経接続を表しています(オレンジの線)。体操競技選手では感覚・運動、デフォルトモード、注意、視覚、情動といった体操競技に密接な関わりのある機能を司る脳領域間の神経接続が強くなっていました。
(B)床運動、平行棒、鉄棒のDスコアと有意な正の相関関係があった神経接続を表しています。床運動は空間認識、平衡・姿勢感覚、運動学習などを司る脳領域を結ぶ神経接続と、平行棒は視覚運動知覚、手の知覚を含む感覚運動処理などを司る脳領域を結ぶ神経接続と、鉄棒のDスコアは視空間認識、エピソード記憶、意識、視野内の物体認識と関連する脳領域を結ぶ神経接続と、それぞれ有意な正の相関が見られました。
いずれも各体操競技種目に密接に関連する脳機能を司る脳領域間の神経接続であり、これらの脳領域間を結ぶ神経接続が各体操競技種目の神経基盤として重要である可能性を示しています。
以上の結果から、世界クラスの体操競技選手では体操競技と密接に関連する脳機能を支える特殊な脳ネットワークが構築されていることが明らかになり、競技力をさらに高めていくためには、視空間認識、視覚運動知覚、運動学習などそれぞれの体操競技と関連する脳機能の向上が重要であることが示唆されます。
今後の展開
本研究によって、卓越した体操競技力の神経基盤として特徴的な脳ネットワークが構築されており、これらの脳ネットワークは体操競技と密接に関連する脳機能を司ることが明らかとなりました。この成果により、脳のネットワークを評価することで、体操競技選手の各種目への適性や、トレーニング効果の客観的評価に役立つ可能性があることを示しています。一方で、世界クラスの体操競技選手の脳ネットワークの特徴が、長期間の集中的な体操競技トレーニングによるものなのか、生まれつき各個人が有している特徴なのかについてはまだわかっていないため、今後さらに縦断的なアプローチによって明らかにしていく必要があります。また、他の運動競技についても同様の検討を行うことによって各競技における世界クラスの選手人材の育成に役立つことが期待されます。
用語解説
*1 MRIによる脳ネットワークの解析:本来脳のネットワークを明らかにするためには、死後の脳を切片化し顕微鏡などを用いて画像化することで脳全体に広がる神経線維を詳細に追跡する必要がある。しかし近年、磁気共鳴画像(MRI)の技術が進歩したことで、拡散MRI神経線維追跡と呼ばれる手法により脳を解剖することなく神経線維の走行を推定することが可能になった。
*2 構造的な接続:神経軸索を介した神経細胞間の繋がりのこと。拡散MRIトラクトグラフィにより神経軸索の集合体である神経線維束の走行や密度を推定することができる。
*3 拡散強調像:水分子の動きに関する情報を画像化したもの。神経線維の中では水の分子は神経線維と平行な方向には動きやすいが垂直な方向には動きづらい。この現象を利用して、既知の神経線維束を画像化することができる(拡散MRI神経線維追跡)。
*4 Dスコア: 体操競技の採点方式の一つ。技の難しさなど構成内容を評価するもの。
*5 デフォルトモード:思考や運動を行なっていない安静状態において同期して活動する脳領域で、記憶や自己認識などの認知機能と関連する。
原著論文
本研究はJournal of Neuroscience Research誌のオンライン版で(2021年7月10日付)先行公開されました。
タイトル: Connectome analysis of male world-class gymnasts using probabilistic multi-shell, multi-tissue constrained spherical deconvolution tracking
タイトル(日本語訳):確率論的トラッキングによる男性体操競技選手におけるコネクトーム解析
著者: Hiroyuki Tomita*, Koji Kamagata*, Christina Andica, Wataru Uchida, Makoto Fukuo, Hidefumi Waki, Hidenori Sugano, Yuichi Tange, Takumi Mitsuhashi, Matthew Lukies, Akifumi Hagiwara, Shohei Fujita2, Akihiko Wada, Toshiaki Akashi, Syo Murata, Mutsumi Harada, Shigeki Aoki, Hisashi Naito *These authors contributed equally to the manuscript.
著者(日本語表記): 冨田洋之*, 1), 鎌形康司*, 2), アンディカクリスティナ2), 内田航2), 福尾誠1), 和気秀文1), 菅野秀宣3), 丹下祐一3), 三橋匠3), マシュールキス4), 萩原彰文2), 和田昭彦2), 明石敏昭2), 村田渉2), 原田睦巳1), 青木茂樹2), 内藤久士1) *共同第一著者
著者所属: 1)順天堂大学大学院医学研究科放射線医学, 2)順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科, 3)順天堂大学大学院医学研究科脳神経外科, 4)アルフレッド病院放射線科
DOI: 10.1002/jnr.24912
本研究はJSPS科研費JP18K09005, JP18H02772,および文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成事業の支援を受け多施設との共同研究の基に実施されました。なお、本研究にご協力いただいた皆様には深謝いたします。
詳細▶︎https://www.juntendo.ac.jp/news/20210719-01.html
注)紹介している論文の多くは、単に論文による最新の実験や分析等の成果報告に過ぎません。論文で報告された新たな知見が社会へ実装されるには、多くの場合、さらに研究や実証を進める必要があります。最新の研究成果の利用に際しては、専門家の指導を受けるなど十分配慮するようにしてください。