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第194回【言語障害スクリーニングテスト “STAD” 開発者】 言語聴覚士(ST)荒木 謙太郎先生no.1

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言語聴覚士を目指した理由

荒木先生2

 

ーーまず初めに、言語聴覚士(以下ST)を目指したきっかけは?

荒木先生:最初は医者になりたいと思っていたのですが、学力が足りなくて、、、それでも医療に関わる仕事がしたいと思っていました。

昔から国語の現代文がすごく苦手でした。夏季講習に行ってもなかなかできなくて、ある日、先生に相談したら「たくさん本を読みなさい」と言われました。最初は苦痛でしたが、だんだん面白さがわかってきて、高校の時に太宰治とか村上春樹とかの作家を知るようになりました。そこから文学が好きになりました。

その後理学療法士(以下PT)、作業療法士(以下OT)、STがあるということを知りました。三つの中でどれを選ぼうかとなった時に、STは言語を使うということで知的なイメージに憧れて、18歳の時にSTになろうと決めました。

それ以来18年、人生の半分をSTとして過ごしてきた生粋のSTですね。

 

ーー先生は北里大学出身ですが、ご出身は?

荒木先生:出身は岐阜県の飛騨市です。すごく田舎です。高校まで飛騨市にいて、高校を卒業して神奈川の北里大学に出てきました。

大学卒業後は、三つくらい職場を回りました。一つ目は大学病院に一年いて、二つ目は大きな急性期病院に四年間いました。それから前の職場に就職しました。三つ目の職場で初めて常勤になりました。

 

時給980円

荒木先生1

ーー二つ目の病院は一日契約ってお聞きしていますが…?

荒木先生:日雇い契約でした。時給980円で月10万円くらいでしたね。当時はSTが全然知られていませんでした。最近になり、だんだんSTの認知度が上がってきましたね。

 

ーーインタビューをしていると、多くの方が以前の方が給料が良かったというと言いますが、荒木先生の場合は逆だった?

荒木先生:そうですね。就職口もほとんどなくて、言語聴覚士の就職先は今の方が多いと思います。PT、OTと比べて、STが国家資格になってからも日が浅いですしね。

 

ーー学生時代はどのように過ごしていましたか?

荒木先生:すごく褒められるようなレポートを書くような科目もあれば、ギリギリでしがみついていた科目もあるような学生でした。アルバイトはガソリンスタンドで働いていました。

あと、先輩の紹介で自閉症の子どもの子守をするアルバイトなどもしていましたね。

 

学年に男子が少ないからこそ

ディスカッション

ーーSTになって、学生の頃の経験が役に立ったと思ったことはありますか?

荒木先生:学年に男が二人しかいなくて、二人で授業に少し遅れて入ると最前列の二席だけあけられていて、以降その席で固定となりました。。

しかしそのおかげで、先生の話がよく聞けたということもあります。授業で「質問がないということは全部わかっているということね?」とよくおっしゃる先生がいたのですが、それが全部自分に向けられているような気がしていました。

ですから、授業後には常に質問をするよう心がけました。質問って内容を理解していないと出来ないと思うので、いい経験だったと思います。

勉強会でもぜひ質問出来るといいと思いますね。質問される側も勉強になりますし。ディスカッションが深まるような質問ができると、勉強会が何倍にも有益になります。

 

 

目次

  1. [1]言語聴覚士を目指したわけ

  2. [2]言語聴覚士のセミナー事情

  3. [3]言語障害スクリーニングテスト “STAD”の開発

  4. [4]言語聴覚士の今後

 

 

荒木謙太郎先生経歴

第194回【言語障害スクリーニングテスト “STAD” 開発者】 言語聴覚士(ST)荒木 謙太郎先生no.1

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