自分の伝えることが学問的に信用されるのか
― 2004年に畿央大学に入職された理由はなんだったのでしょうか(ニューロリハセンターをつくった理由は)?
森岡先生 留学から帰国後、高知に家も建て、そのまま地元で生涯過ごすつもりでいました。一方で、博士の学位を得てからの人生も考えるようになりました。そうした中、ある先輩から、畿央大学が開学することを聞き、「大学で研究してみたい」と思うようになりました。
畿央大学の前身の短期大学に訪問し、前学長から話を伺うことができ、その人柄に感銘を受けてしまいました。
ちなみに、前学長は昨年勇退されたのですが、とても素晴らしい方で、90歳を超えているにもかかわらず、原稿なしで当たり前のようにスピーチされ、その哲学にはいつも感銘を受けました。
そんな前学長を心から尊敬し、その生き様に憧れ、ここで働いてみたいと思い、大学教員に挑戦するに至りました。
また、私の教えたり伝えたりする内容が、本当に学問的に信用されるものかを問う際、研究機関に身をおき、行っている研究について、確実に原著論文として残さなければならないと使命を感じたからです。
自分が行なった研究を、第三者の目を通して評価していただくことは、自分たちの研究や臨床思考の水準の立ち位置を自覚する上で大事なことに思えます。
本の執筆やメディアの露出もその業界を認知させたり、一般の方々に正しい情報を伝える上で大事ですが、あくまでもアウトリーチ活動ですので、やはり大学の研究者としての軸は研究におき、信頼されるべき情報を後世に残していくことが大事だと思います。
インパクトある正確な情報は、自分が亡くなった後も残り続け、その情報は賢い後輩たちに使われていくと思います。
高知の専門学校に残るという選択肢もありましたし、そこには尊敬する恩師もいます。
しかし、一つの組織に集中するよりも、それぞれ想いをもった者が発散していく、そのようなプロセスによって、人間の特異性である多様性をもった社会が築かれ、進歩していくものと思っています。
はるか昔、人類の祖先であるミトコンドリア・イブが生まれ、その祖先がアフリカ大陸を離れ、全世界に拡がっていったように。
そんな中でタイミングよくたまたまご縁があった畿央大学で働かせていただくことになり、ご縁がご縁を呼び開学10年ほどで、ハードとソフトを有したニューロリハビリテーション研究センターを設立することもできました。
24時間研究者であれ
― 先生の仕事内容をお聞きしていると、講義もしながら院の研究指導、執筆や講演活動など、どう見積もってもお時間がないように思うのですが。
森岡先生 もちろん大変ですし、時に分刻みで動き、そして深夜であっても、大学・家問わず働いています。しかし、教員は心的に大変とは思えません。
当然、私も学生がお世話になっている実習地に訪問することがありますが、現場の療法士に比べ、自分の時間を作ることは工夫によっては十分にできます。
実のところ、学校教育も臨床も手続きは同じだと思っています。評価し、手続きを考え、実際に介入してみて、その後、それに関して評価を行い、介入手法を変えたり継続したりと、この介入が授業であったり、学生の個別指導であったりするわけです。
忙しさや大変さの意識は、要するに、24時間研究者の意識を持ち続けるからかもしれません。歩いているときも、食事のときも、人と会話しているときも、行動や現象を考えたり読み取ったりしていて、私の頭はフル回転です。
夢の中でもよく考えていて、たまに夢の中で良いひらめきが起こり、目が覚めた瞬間にはメモをとるようにしています。追われている夢もよくみますが(笑)。
しかし、それは一種の趣味のようなもので、好きだからやりつづけているのだと思います。
実際には、授業は理学療法学科だけでなく、看護学科、教育学部と多岐に渡っていますし、大学院生を約30名抱えており、その教育、研究指導を夜間にやっている関係で仕事としては大変ですが、徐々に頭脳的存在が育ってきて、最近はとても楽になりました。
そう思うと大学院での指導を9年間やってきてよかったと思っています。ちなみに、現在のところ、完成させた修士論文は79編、博士論文は11編になります。
私の場合、教育、研究だけでなく社会貢献としてのアウトリーチ活動もこれまで重要視してきた関係で、それが忙しくさせた理由とも言えます。書籍の執筆活動や講演活動がそれにあたります。
この活動は原著の執筆に比べ評価されることはほとんどないわけですが、専門領域以外の一般の方々に向け、自分の研究を公表することは、社会貢献の視点から大事な大学教員の仕事であると思っています。
一方で、私たちの業界や仕事が成熟した学問を背景にしているのであれば、毎年沢山の書籍が出版される必要はありません。
私たち専門職はよく「勉強熱心ですね」といわれたりしますが、本がやたらめったら出版されるのは、実は背景となる学問が標準化されていない結果だと思っています。
例えば、生理学の教科書は「標準生理学」で十分と思っています。成熟した学問に比較すると、理学療法学や作業療法学は未だカオス状態といえるでしょう。発散の次は収束へシフトすると思うので、いずれ残るものと残らないものに区別されてくると思います。
本を出版する者は売れることも大事ですが、ミスリードとならない情報を提供すべきと、いつも倫理感をそばに置くことが大事だと思っています。
セミナーや講習会に至っては、新しい情報が生まれれば、その提供という視点で必要だと思いますが、無い、あるいは誰かの知見のコピーであれば必要ないと思います。
本や論文を読めば学べる内容をわざわざお金を払って、出典もわからない責任のない資料やスライドを使ったセミナーから学ぶということに対しては疑問を感じます。
本の執筆は個人的にはこれからも続けていく仕事ですが、啓発するような一般向けの書籍には少し抵抗があり、今までは断ってきました。
キャッチーな方向に情報がショートカットされたり、歪められ
また書籍を執筆する場合、過去の文献の孫引きからでなく、自分の目でみて確かめ、徹底的に読み込み、自分の都合のいい情報に歪めて捉えていないか確認する作業が必要です。
自分自身にも履歴があり、それに基づきどうしてもバイアスが入ります。だから、都合のよい部分だけを情報化する嫌いがあります。
また、人から人へ情報伝達された場合、伝言ゲームのように情報が変わり、その情報は簡素化され、キャッチーなものだけが伝わり、それがポピュリズムを形成してしまう問題を秘めていると思っています。
国家試験で当たり前に出題されている問題のなかにも、普遍的なものだけでなく、あくまでもポピュリズムから生まれた、視点を変えれば問題がある問いがあったりと、この辺りはまだ私たちの仕事の背景となる学問が成熟していない結果かもしれません。
【目次】
第二回:自らアポを取り、パリ留学へ
第三回:熱傷にはじまり、腎不全、バイオメカニクス、そして脳研究へ
第五回:共に楽しむことこそ、教育の原点
第六回:心身の揺らぎを忘れたとき、人間はロボット・AIにとって変わられる。
第七回:異業種、異世代、異性とのコミュニケーションが脳を育てる
最終回:生きる
森岡先生が大会長を務める第20回日本神経理学療法学会学術大会
【日程】
2022年 10⽉15⽇(⼟)〜16⽇(⽇)
アーカイブ配信期間:11月1日(火)~11月30日(水)
【会場】
大阪府立国際会議場(グランキューブ大阪)
〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島5丁目3−51
※会場開催+アーカイブ配信
HP▶︎http://jsnpt20.umin.jp/index.html
森岡 周 先生 プロフィール
1992年 高知医療学院理学療法学科卒業
1992年 近森リハビリテーション病院 理学療法士
1997年 佛教大学社会学部卒業
1997年 Centre Hospitalier Sainte Anne (Paris, France) 留学
2001年 高知大学大学院教育学研究科 修了 修士(教育学)
2004年 高知医科大学大学院医学系研究科神経科学専攻 修了(
2007年 畿央大学大学院健康科学研究科 主任・教授
2013年 畿央大学ニューロリハビリテーション研究センター センター長
2014年 首都大学東京人間健康科学研究科 客員教授
畿央大学ニューロリハビリテーション研究センター HP: http://www.kio.ac.jp/nrc/
森岡 周先生SNS
Facebook:https://www.facebook.com/shu.
Twitter https://twitter.com/ShuMorioka
<2017年3月現在の論文・著書>
英文原著73編(査読付)、和文原著100編(査読付)、総説72編(査読無)
著書(単著・編著)15冊、(分担)20冊
http://researchmap.jp/read0201563
(撮影地、撮影協力:畿央大学ニューロリハビリテーション研究センター内)