運動療法の補完としてAKAがある
― AKAは従来の徒手療法の中から生まれた技術ということなんですね。
農端先生 徒手療法そのものを導入したわけではありません。モビライゼーションの一部に関節運動学を考慮した技術があります。技術の中で基礎となっている関節運動学に注目したということです。
当時の運動療法には関節運動学の知識が考慮されていませんでした。安全性に配慮し、四肢の関節運動に適応しました。実際に適応すると、関節拘縮が劇的に改善したり、運動痛が消失したりと、かつて経験したことのない効果に驚きの連続でした。そこで痛みの改善に注目し、痛みを主訴とする有痛性疾患の治療を試みました。
そんな過程の中で腰痛に適応したところ著効を得ました。この臨床経験から徐々に適応関節を広げ、頚椎椎間関節や仙腸関節や胸肋関節、肋椎関節にもAKAを行うようになりました。
国立病院が変わった治療法を行っていると評判になり読売新聞に掲載されました。それから、多数の疼痛治療目的の患者さんが受診されるようになり、徒手医学の側面が注目されるようになりました。そのような状況の中、多数の患者さんの関節を個別に治療した経験値の積み重ねによって、関連痛の地図が出来上がり、現在の形になったということです。
― AKAにとって、ターニングポイントとなった時期はいつ頃でしょうか?
農端先生 1994年に現在の技術体系になりました。それまでは、修正に修正を重ね、適応関節を増加し、技術の強さも整理されました。これらの技術の改良は、臨床経験を基にし、医師と理学療法士と効果や反応を報告し作りあげてきました。ですから、研究報告は、ほとんどは臨床報告ばかりです。
その後、関節神経学を考慮し関節静的反射や関節運動反射の臨床的な意義が明らかになり、さらに軟部組織の収縮性が発見されるなど、臨床効果の理論的根拠が徐々に明らかになってきました。
読売新聞に出てからは患者さんが殺到し、博田先生の治療法を学びたいという医師も増えていきました。そこで1990年にAKA医学会を発足し第一回学術集会が開催されました。AKA医学会は医師の研究会ですが、コ・メディカルも参加していました。
当時、研修会そのものが少なく、年に数回しか開催していませんでした。受講人数も50名くらいに限られていたと思います。その後2000年にAKA医学会PTOT会を立ち上げ全国的開催をはじめました。
1999年WCPT in横浜にて初めて外国にAKAが紹介された
― 99年にWCPTで研修会を行われたと伺いました。
農端先生 Post congress seminarの応募方式で枠をもらい、開催したのですが、非常に好評をいただきました。これを境に、海外に向けて発信されるようになりました。
ドイツを中心としたヨーロッパのFIMM(国際徒手/筋骨格医学連合会)という医師の学会があるのですが、整形の医師が手術だけでなく、腰痛のプライマリーケアの研修が必須になっていて、手術以外の方法で治療するという課題が半年ほど必修となっています。
その治療法を研究する学会があり、1国1手技加盟できる医師の会で、日本からはAKAが加盟しました。
加盟した次の年にスロバキアのブラチスラバで学会があり、博田先生がワークショップを開催し、AKA-博田法がドイツの医学雑誌のManuell Medizinに掲載されました。その頃、韓国の理学療法士から話をいただき、研修会(4回)を開催しました。さらにそれから、国外での研修会開催実績が知られ、香港・ドイツ(医師)、台湾(PT)、でも行なえるようになりました。
博田先生は現在84歳ですが、講習会を中心に活動されています。いろいろな患者さんを確実に治そうと思ったら、博田先生くらい上手に治療できないと治せないですね。理学療法士も、AKAの医師の会で行われている講習会に参加すれば、博田先生の直接指導を受けることは可能です。
続くー。
【目次】
第一回:AKA-博田法との出会い
第三回:運動療法の補完としてのAKA
最終回:臨床研究から培われたAKA
「AKA」は、関節包内運動の治療技術として紹介されてきたが、海外ではarthrokinematic approachは一般に、関節包内運動を治療する技術の総称で、joint mobilizationなど全てを含む呼称である。それ故、我々の使ってきたAKAが、他と違った特殊な術であることを示すため、日本語は関節運動学アプローチ-博田法、英語はarthrokinematic approach-Hakata methodという名称を用いることとした(2003年4月)。なお、省略形としてそれぞれAKA-博田法またはAKA-Hakata methodと呼ぶこととする。」
書籍紹介
農端芳之先生のプロフィール
昭和52年国立療養所近畿中央病院附属リハビリテーション学院理学療法学科卒業
昭和52年4月大阪鉄道病院入職
昭和53年12月国立大阪南病院入職
昭和58年4月米国出張
平成5年近畿中央病院附属リハビリテーション学院
平成13年大阪医療センター
平成22年京都医療センター
平成26年大阪南医療センター
平成28年大阪医療センター
趣味:草ラグビー