ー 森岡先生、お忙しい中突撃してすいません。ちょっと前、標準理学療法「神経理学療法学」の第2版が出版されました。いきなりですが、そもそも標準的な理学療法ってあるんですか?
森岡先生:この第1版は実は5年前に出版されました。それ以前は、運動療法学総論と各論に分かれているのみで、運動器障害系も神経障害系も内部障害系も一緒になっていました。第1版ではそれらを分けることを意図して出版されました。
私は神経に関する編集者として招き入れられ、時代の流れに対応するように脳・神経科学知見や画像分析などを新たに組み込んだ記憶があります。
それから5年の月日が流れ、この間、臨床と研究の両者に優れた人材が多く出てきました。今回、そうした人材を新たに執筆者に招き入れて「標準的な」神経理学療法学を作成すべく、準備してきました。
今回、特に編集で気を使った部分は、Speculative(スペキュレイティブ)な表現が強い部分を見つけ、それを削除あるいは編集した点です。
標準理学療法学シリーズは、あくまでもスタンダードを意識した教科書ですから、自分の想いの丈を書いたものや、サーベイが不十分な中での解釈では不適切なわけです。
教科書としての標準理学療法学とは、そのような徹底的な管理のもと、表現してよいものを厳選したものといえるでしょう。けれども、理学療法学は応用科学であるため、どうしても一部では、スペキュレーティブな部分はのこってしまいます。次の改訂ではその部分にもメスを入れたいと思っています。
ー バイアスという点についてお聞きしたいのですが、経験年数が長いことでの優位性の他、それによるバイアスも多くあると思います。そのバイアスが現在まで野放しにされていた、そしてそれが脈々と受け継がれている点について、どう思われますか?
森岡先生:経験年数を重ねれば当然記憶が増えますから、認知的なバイアスは起こりやすくなります。ただ、その中でもバイアスが強い人とそうでない人がおり、そうでない人は思考がある意味柔軟と言えます。ただこれは、我々の業界以外でも往々にしてあることです。つまり働く環境、学ぶ環境によってバイアスの程度も異なるわけです。
残念なことに、強制的かつ恣意的に教育されてしまう場合、バイアスが伝染してしまいます。けれども、幸い現代は、情報を集めることは容易であるため、情報の信憑生を見極めることは、情報リテラシーの観点から、個人レベルでも可能だと思います。
ただ先輩の言うことはバイアスが含まれていても「100%嘘ではない」と思うことも必要です。経験もれっきとした個人内のクラスタリングですから、ある意味それも情報の1つとして考えることができます。ただし、それのみであれば根拠に乏しすぎることは自明です。
他の情報として、臨床疫学的なデータや、基礎科学的な知見、目の前の患者さんから得られた情報、そして先輩の意見を合わせて吟味し解釈する必要があります。
この手続きがEBM(エビデンスベースドメディシン)です。しかし、この解釈プロセスにおいて、自らあるいは先輩の経験のみであれば、バイアスが強くなってしまうわけです。つまり、医療に携わる者は、新しい情報を常にキャッチアップしていく必要があるわけです。
一方で、「根拠がないものは、やってはいけない」という認識を持たれている方もいるようです。そうではなく、疫学的データも、先輩からの意見も、患者さんの訴えも、情報には変わりありません。これら情報を活かしつつ意思決定をしていくプロセスが医療には重要です。
だからアートでもあるといわれたりするわけです。まず、この教育を地方や職場といったミニマルなユニットにおいて叩き込む新人教育が必要だと思っています。もちろん、学校教育の段階から教育することは必要ですが、現場の意識が変わらないと、それを標準的な教育として徹底することはなかなか難しいと考えています。
ー 教育という部分で、神経系に限って考えると森岡先生はどのように改革すべきだと考えますか?
森岡先生:今は昔と違って沢山の情報を知っておかなければなりません。その多岐にわたる情報の中から取捨選択し、意思決定をしていくためには、基本コンセプトが大切になります。例えば、神経系に限って考えると、現状、さまざまな理論やコンセプトがあり、それぞれ「患者さんを良くする」という前提のもと研磨されたり、教育されたりしています。
重要なのは、神経系の患者さんを診る上で、普通に知っているべき知見を前提として、まずは意思決定されているかです。こうした教育は、現状カオスになっているのは否めず、協会なり士会、あるいは分科学会等で行わなければならないと考えます。
例えば、学会で行われる教育講演に関しては、極めてベーシックかつスタンダードな部分にとどめておく必要があります。現在は、教育講演であるにも限らず、講師に依存し、内容の吟味がないまま、情報公開されています。
それを各学会主導のもと、講師の選定から内容の吟味まで、チェックを行うシステムが必要であると考えています。そしてチェックを得た講演内容は、WEB配信したり、共有できるスライドとして利用できるシステムも必要と思っています。
学会における教育講演は、特別講演とは異なります。最新の情報を特別な講師にお話しいただき、高いレベルで議論するのは、特別講演であって、教育講演ではありません。
現行制度ですと、認定や専門PTまで取得する過程で、その共通項を植えつけることは可能ですが、少々時間がかかりすぎます。私たちの目的はただ一つ、「目の前の患者をどうにか良くしたい」ということです。目の前にいる患者さんを、「今」どうにかしなければいけない中、時間的ロスをつくらない意味でも、教育講演による標準的情報のストックやその公開は大事になると思っています。
ー ただ、分科学会になった今でも、情報の格差はあると思います。この、地方格差をなくすための取り組みとして必要なことはなんでしょうか?
森岡先生:情報だけであれば、WEBコンテンツを利用すればいくらでも配信できる時代です。しかし、若者が参加し、数年後にはそれを支え運営し、伝達していくという意識の涵養(かんよう)が重要です。つまり、大切な事は地方組織を作り、そこに参加する文化を創り、受け身からの脱却をはかる必要があります。
今後は、地方士会と各分科学会の連携が重要になると思います。そして、地方部会を組織化していくことが必要であると考えています。その組織化には、若手だけでも不十分、相応の経験者だけでも不十分、両者がうまく組織化され、「今の標準」に関して情報を一元化していくことが重要だと思います。
年代による認識格差は、標準知識の広まりの妨げとなりますから、各分科学会の地方組織は、年齢問わず参加できる仕組み・仕掛けを用意する必要があります。分科学会本部から地方へ積極的に講師派遣等を行い、時間をかけつつ、地方組織の中に標準的な情報を提供できる講師を育成していくことも同時に行うべきでしょう。
若手が学んだ知識を自らの機関や組織に導入する際、上司がそれについて知らなければ、それもまた信念対立を起こす種になり、発展の妨げになります。地方格差をなくしつつ、年代格差に対しても対応していく必要があると思っています。
ー でも現状では、神経系に限っていうと、あらゆる手技を提唱する団体があると思います。そのような団体とも協議を重ねていくのでしょうか?
森岡先生:理学療法の歴史を紐解いていくと、神経障害系、運動器障害系の歴史は古く、内部障害系は後発です。その点を踏まえて考えていくと、情報の少ない中で発展してきた神経・運動器系よりも、検査や診断によって明らかにされ、理学療法の適応が議論されつくられた内部障害理学療法に関しては、標準化が神経・運動器系に比べると進んでいるように思えます。
一方、理学療法草創期から対象であった神経系・運動器系は、情報が少ない中でも実践していく必要があり、誰か、多くは外国人が提唱した理論ベースに発展してきました。一方で、時代背景とともに、現象を明確に分析できる検査方法や、病態を捉える科学的手法が発展してきました。
つまり研究が進んだことによって、今度は理論に基づいた理学療法と、科学に基づいた理学療法の間にも、対立が起きているように感じます。いずれにしても、互いに紋切り型な情報にすぎず、互いの主張を一旦棚上げし、議論・協力することが必要だと思っています。
なぜなら、一つの共通点として「目の前の人を良くしたい」というまなざしは同じだと思うからです。つまり、目的は一緒です。だからこそ、同じテーブルにつき、議論を行うべきではないかと考えています。その中で大切なことは、それぞれの良さを認めつつ、共通点や限界点に目を向けることではないかということです。
見ている景色は異なると思いつつも、鳥瞰(ちょうかん)すれば同じことを言っていることはしばしばあります。情報を共有できる場があれば、互いに内省・反省したりできるのではないかと思っています。
「脳卒中リハビリテーション・コンソーシアム」これが私の考える共有の場です。つまり、共同体として、例えばある手技はこのような状態の患者さんには適応可能で、こういう状態にはそれでなくこちらの方が適応するのではないかと、住み分けも場合によっては可能になると思います。
当然、定量的なアウトカムを導きやすいものもあれば、そうではないものもあります。「データがないからダメ」というのではなく、そういう背景を互いに理解しあうことが大切なのです。
「互いの良さを尊重し、自身の限界も知る」これが、神経系理学療法発展のポイントであり、「脳卒中理学療法あるいはリハビリテーション・コンソーシアム」の意義だと考えます。
ー 先生が高知県出身ということもあり、坂本龍馬に見えてきました。
森岡先生:ありがとう。笑 今ここで、後世に良質な神経理学療法学を残すためには、一度ここで負の遺産を洗い流す必要があると思います。今、その時なのかもしれません。この負の遺産である対立構造が模倣され、後世に受け継がれていく流れをどこかで正さなければなりません。
よくある話、一つの団体から派生し、また別の理論をもとに組織化し、元の組織と対立してしまう。これは歴史上あることですが、枝でしかない理論・手技の枝になれば、さらに先細りしてしまうことは、自然の流れで自明です。幹となる王道は、あくまでも標準的なものだと思うわけです。その幹が太くならないことには、上へ上へと成長できません。
本筋を辿れば、「患者さんのために何とかしよう」と確立されたものが、どんどん派生し、いつしかその中心である患者さんを置き去りにしている主張を見たりすることもあります。また「恨み辛み」の情念に転化されてしまえば、本筋の理念は薄れ、さらに情念ばかりが注目され、それが今度は牽引されてしまいます。
今こそ、この負の遺産を清算し、後世に正しい道筋を残す作業が必要なのではないかと思っています。
ー 森岡先生お忙しい中ありがとうございます。最後に何か一言いただけますでしょうか?
森岡先生:学会を運営する上で、ご高名な先生をお呼びすると、未だ奉る文化が私たちの業界には根付いています。いつまでも奉ってばかりいると、関係性をフラットにすることはできません。この関係が続けば自立した団体にはならないでしょう。
学会の特別講演に招聘した方と対等にしゃべるためには、それ相応の実績と知識が必要です。理学療法士が理学療法学をきちんと語れるよう、やはり臨床研究を推進し、誰がみてもわかる実績をつくっていく必要があります。そうすれば招聘された側にとってもみのりのある学会になります。
理学療法学は応用科学ですから、理学療法学というものを別の学問体系に属している方にも一緒に発展させてもらう必要があります。理学療法士だけで、理学療法学を極めるには限界があります。
もっと開かれた学会運営が必要になってくるでしょう。そのためには、様々な科学に属する方々と、対等な立場で話ができる人材が我々の業界にどれだけいるか、ということがポイントになると思っています。人材育成はまさに急務なのです。
森岡先生が大会長を務める第20回日本神経理学療法学会学術大会
【日程】
2022年 10⽉15⽇(⼟)〜16⽇(⽇)
アーカイブ配信期間:11月1日(火)~11月30日(水)
【会場】
大阪府立国際会議場(グランキューブ大阪)
〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島5丁目3−51
※会場開催+アーカイブ配信
HP▶︎http://jsnpt20.umin.jp/index.html
森岡先生インタビュー
第二回:自らアポを取り、パリ留学へ
第三回:熱傷にはじまり、腎不全、バイオメカニクス、そして脳研究へ
第五回:共に楽しむことこそ、教育の原点
第六回:心身の揺らぎを忘れたとき、人間はロボット・AIにとって変わられる。
第七回:異業種、異世代、異性とのコミュニケーションが脳を育てる
最終回:生きる
森岡 周 先生 プロフィール
1992年 高知医療学院理学療法学科卒業
1992年 近森リハビリテーション病院 理学療法士
1997年 佛教大学社会学部卒業
1997年 Centre Hospitalier Sainte Anne (Paris, France) 留学
2001年 高知大学大学院教育学研究科 修了 修士(教育学)
2004年 高知医科大学大学院医学系研究科神経科学専攻 修了(
2007年 畿央大学大学院健康科学研究科 主任・教授
2013年 畿央大学ニューロリハビリテーション研究センター センター長
2014年 首都大学東京人間健康科学研究科 客員教授
畿央大学ニューロリハビリテーション研究センター HP: http://www.kio.ac.jp/nrc/
森岡 周先生SNS
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Twitter https://twitter.com/ShuMorioka
<2017年3月現在の論文・著書>
英文原著73編(査読付)、和文原著100編(査読付)、総説72編(査読無)
著書(単著・編著)15冊、(分担)20冊